徳地 哲明
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ヒストリー

出身地

神奈川県川崎市生まれ、宮城県仙台市育ち

幼少期の暮らし、体験

小学生時代は野球漬けの日々。低学年の間は全く活躍できなかったが、毎日朝と夕方に走り込みと素振りの自主トレを行い、6年生の時には仙台市優勝、県大会準優勝、全国大会出場。一番の思い出は楽天コボスタジアム宮城(現楽天モバイルパーク宮城)で行われた県大会の決勝で先発したこと。努力を重ねた末の成功体験を初めて得られたのが野球だと思う。

一方で、野球との両立の中挑んだ中学入試は不甲斐ない結果に。当時の受験勉強はかなりつらかったが、今振り返れば小学生にして学校以外の場所で勉強する習慣がついたこと、小学校の勉強が完璧に習得できたことが後の高校受験・大学受験で大いに役立ったと思うので、中学受験は心からしてよかったと思っている。



中学・高校時代

中学時代はケガ(野球肘)の影響で野球を断念。右投げ右打ちの僕が右腕を安静にしろと言われたので心機一転、左手で卓球を始める。その後、不本意ながら始めた卓球の魅力に憑りつかれる。県中総体団体戦ベスト8。

中2の時、同級生と「科学の甲子園ジュニア全国大会」に出場。自分の持っている知識で問題を解くことの楽しさを知り、勉強の持つ本当の楽しさに気付く。
また、その同級生の勧めでクイズと出会い、こちらもまた魅力に憑りつかれ中。

しかし、勉強に楽しさを見出したにも関わらず、高校受験でも第1志望校の門をくぐることはかなわず...
中学受験のリベンジと燃えていたため、これはさすがにきつかった。現時点までの人生でも最大の絶望だった。おそらく、高校の入学式の日はこの世の終わりかってくらい死んだ顔をしていたと思う。のちにこの高校で素晴らしい出会いがあるとは知らずに...

高校時代は卓球を続けながらも、学生団体という新しいジャンルの活動に奔走。高1の時、先輩たちのプレゼンをきっかけに「YES! 」を知り「正二角形」に加入。特にコロナ前の2019年はイベント開催やビジネスコンテスト参加などに携わった。優秀すぎる先輩方と仲間に出会ったあの1年で学んだことや感じたことが今の自分を創っていると思うと、人生って本当にわからないなあと思う。


卓球の方は団体戦にぎりぎりエントリーできるような超少ない部員数で県大会出場を果たした。シングルスでは高1の時に県ベスト32に2回入り、ダブルスでは地区予選ベスト4、県ベスト16まで行った。すべて自分で考えながら日々練習を頑張っていたが、そこそこ勝てるけど角シードには勝てないというのは最後まで変わらなかった(笑)。

大学受験の方は、高1で目標に掲げた憧れの大学には届かなったものの、なんとか岩手大学理工学部に合格。小さいころからの目標であった「機械工学を学ぶ」スタートラインに立つことができた。

大学・専門学校時代

岩手大学
大学では機械工学を学び、3年次より生体工学研究室に所属。

「先端理工学特別プログラム」に所属し、英語でのプレゼンを数多く経験した。高校時代に団体の先輩方からプレゼンを学び、大学生になってそれをたくさん実践したことでプレゼン力はかなり向上したと感じている。高校時代はそうでもなかった英語も大学に入って「使う」ようになってから好きになり、将来は海外でエンジニアとして働いてみたいと思っている。ちなみにTOEICは760点で、まだまだ細かい知識と長文の速読力を鍛えるべく、スピーキングと併せて勉強中である。

2024年9月にアメリカ・シリコンバレーへ行き、「カリフォルニア・イノベーション研修」に参加。Google, Appleといった世界的企業やStandord University, U.C. Berkeleyなどの名門大学を訪問し、科学技術とイノベーションについて学んだ。意外と自分、英語でコミュニケーションとれるじゃん!と自身がついた一方、海外の大学院で研究したり企業で働いたりする自分を想像するとまだまだひよっこだなと感じたアメリカ滞在だった。

2024年12月、機械科の同期が立ち上げた「鯉のぼり」に登壇。
高校時代に開催していた「YES! 」を岩手で復活させるべく活動中。