もっぢ
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

茨城県

幼少期の暮らし、体験

私は、いじめの多い小学校にいた。いじめの標的は、見た目などの違いから外国人が多かった。しかし、いじめられるのが怖くそのいじめを第三者として見ていた。また、私のコミュニティにはボス的な存在の子が常におり、「何かをしたらいじめられるのではないか」という恐怖と不安から自分を押し殺して生きていた。常に従って小学校生活を過ごした

中学・高校時代

私は中学受験をし、地元とは異なる中等に進学した。そこで出会った新しい人、環境に感動した。自分らしく生きられる環境、私の意見も尊重してくれる友達、みんなで一緒に勉強を頑張ろうという姿勢。私は自分らしく生きることの楽しさ、友達と協力することの大切さ、みんなで目標に向かうことの楽しさなどを学んだ。そこで、今までピアノと書道しかやってこなかった私の新しい道を開こうと、ルールも知らない硬式テニス部に入部した。しかし先輩方は厳しく、思うように練習などができなかった。そして、執行代の際には副部長に立候補した。部活の雰囲気を変え、みんながテニスの練習を楽しくできる部活に変えたかったからだ。とくに、部長と部員の架け橋である副部長を担うことで、部員の意見などもより聞けると考えた。そして、練習のシステムから変え、1年生、2年と3年女子、2年と3年の男子の3つでローテーションしていたものを、男子と女子という区分に分けた。縦の関係をより構築しやすくなると思ったからだ。男女の関わりも大事だと考えたため、合同練習も2週間に1回行った。先輩方には反対されたが、1年生の頃、あまり練習できなかった悔しさなどもあり、何度も何度も先輩たちに説得し納得してもらえた。そして、練習を始めて3ヶ月の団体戦で、歴代初めての関東大会出場を果たした。みんなで全ての試合に全力で臨み、出場しないメンバーは、声を枯らしながら応援してくれた。男子のメンバーも皆応援しに来てくれ、全員で一緒に関東大会出場を掴み取った。みんなで泣きながら喜んだあの瞬間は一生の思い出だ。その後、後輩たちもローテーションなどはそのまま受け継いでくれている。

大学・専門学校時代

所属していたテニスサークルを、初心者でも楽しめるように変えたことである。私が1年生の時、サークルに入会した初心者は、たった1年で約4割も辞めてしまった。経験者の割合が大きくなり、初心者にとってますます居心地が悪くなってしまったのだ。そこで、私は3年次に、皆にテニスの楽しんでほしいという思いから代表に就任し、2つの策を講じた。1つ目は新歓活動である。まずはサークルの公式LINEを立ち上げた。新入生に向けて、初心者でも楽しめるサークルに変わったことを伝えたのだ。また、その点はSNSでも積極的に発信した。2つ目に、初心者練習会を導入した。初心者も含めてみんなで上達するためだ。経験者には、初心者に直接指導してもらった。その結果、初心者の新規入会者数は35人と前年よりも12人増加し、新入生の退会者数は1人もいなかった。このように、主体的に周りを巻き込んで環境を変えることができた。

職歴

テニスコーチ 大学1年から
温泉ホテル 大学2年から