5歳までは食べることが大好きな快活で元気な子供だった。
小学校3年生くらいから勉強ができる方だったので優等生になるが、必要以上に頑張ってしまい、この頃から人生を楽しむことから離れてしまう。
中学生は親の不仲が激しくなった時で、思春期もあり、父親にものすごく反抗する娘でした。プチぐれ期で、学校の先生や友達に当たっていた。
部活はソフトテニス部にいたけれど、レギュラー3番手という微妙な位置で、友達と容姿や成績を比べてしまう傾向があった。
中2の時に親友だと思って子に裏でものすごく悪口を言われたことに傷つき、それ以降女友達を信用できなくなった。
中3で部活を辞めた時に5㎏くらい太り、周りの態度(特に男子)が変わったことをきっかけに、「太ったら愛されない」という価値観が入り、むちゃなダイエットをするようになった。これが摂食障がいを発症する原因となった最初の出来事だった。
高校では1匹狼的な存在で、あまり友達とわいわいするよりも一人で勉強することが多かった。高校1年の時に親が離婚しましたが、クールを装って、周りに可哀想と思われたくなくて、強がっていた。
成績は良く、先生には褒められたりもしたが、友達付き合いがうまくできず、孤独な中高生時代だった。
大学1年生は体育会のテニス部に明け暮れ、大学2年生からは勉強に熱心になった。
しかし、大学3年生の時から、摂食障がいがまたひどくなってしまい、半年間休学することにもなる。
今までで一番ひどい時期で、一日中食べ吐きをして過ごすことも多かった。
なんとか半年遅れで大学を卒業するが、摂食障がいは抱えたまま社会人になる。
大学卒業後は電気保安協会に営業として就職。
1年目からできない社員として扱われ、別部署に移動。
中小企業の社長に会い、お困りごとをビジネスマッチングで解決するという仕事をする。約4年働き、外資系生命保険の会社に転職。
外資系生命保険の会社では、
フルコミッションの世界の厳しさを知らずに飛び込み撃沈。
約10ヶ月で退職。
ちょうどこの頃に双極性障がいⅡ型とも診断され、障がい者手帳も取得する。
手帳は持っていたが、支援員という形で障がい者就労支援の会社に入社。
支援をする中で、自分の障がいも克服し、5年間勤めた会社では役員という立場も与えられた。
2020年、摂食障がいのある方への支援をしようと6ヶ月準備をし起業を試みるが、まだ信用が足りず断念。
就活をして、障がい者の自立訓練の会社に入社。
事業立ち上げのプロジェクトを任せていただく。
摂食障がいのある方も受け入れられる施設として、2020年12月オープン予定。