一人っ子として生まれたため、両親・祖父母から愛情をたっぷり注がれて育ちました。家族には感謝してもしきれません。身内に対して安心感がある反面、外の世界は怖く内弁慶。今もですが人見知りをしてしまいます。兄弟はいないので、当然兄弟喧嘩をしたことがないのですが、争いごとは嫌いです。穏和が一番! のびのびとした環境で育ったためか、おっとりマイペースな性格はこの時期から変わらないようです(笑)
異文化への興味が芽生えたのは中学時代。今の私の価値観の源泉です。英語の教科書を開くと未知の世界が広がっている。日本しか知らない私にとっては異文化の話は読んでいてとてもわくわくしました! 世界はカラフルだなって。当時は言語を学ぶことによって異文化を知るという形でしたが、英語というのはあくまでコミュニケーションの手段。言語を習得することで世界の様々な人とコミュニケーションを取れますが、ただ言語を学ぶだけでは異文化への包括的な理解は難しいですよね。
そこで、高校時代では大学で何を学びたいのか真剣に考えました。西洋の近代的価値観を絶対視せず、相対視することによって異文化の理解を試みるという文化人類学という学問を知ったのもこのころです。視野を広げて深く文化について学びたいという気持ちは受験期のモチベーションでもあったし、今もその気持ちを大切に学びと向き合っています!
大学では文化人類学を専攻しています。文化を学んでその後の人生にどう活かせるのか初めはわからなかったのですが、他者を理解しようとする部分はボランティアマインドと重なるので、入学当初は国際協力やボランティアに興味がありました。CLOVERで難民支援をするきっかけもそれです。ですが、実際に途上国への渡航で現地を視察したり、開発人類学を学んだりする中で自分ひとりが世界の複雑な課題解決へ貢献できる部分はとても限られていると感じました。自分の人類学への向き合う姿勢が変わった瞬間です。開発人類学への興味から広く人類学全般への興味へ。何も開発にこだわる必要もないなと気づいたのですが、それでも人類学への興味は尽きなかったですね。視点を相対化することで人類のあり方を問い、私たちに植え付けられている固定観念を打ち破ること、そしてそれにより視野が広がっていくことが何よりもわくわくします!
私は現在アートへの人類学的アプローチを図ろうと研究を計画している最中です。芸術人類学とでも言われる分野なのでしょうか。美術館における展示解説を学芸員はどのように工夫を凝らして記述するのか、非言語的な作品を言語化する際にどのような苦労や葛藤があるのかなど、作品を叙述・表現する人に注目しようと考えています。入学当初は自分がこのような研究テーマを掲げるとは思ってもおらず...(笑)不思議ですね。
さて、ではなぜ私が今もボランティアとして難民支援に関わっているのか、疑問に思う方もいるかもしれません。そのことは掲載しているCLOVERの記事に書いてあるのでぜひ読んでみてください。