中須賀奏太
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ヒストリー

出身地

福岡県

幼少期の暮らし、体験

 幼少時は、好奇心旺盛でよく親や先生に気になったことを質問したり、図鑑や伝記などを読んでいたりするような子供でした。

 また、先生や親に褒められるのが嬉しく小学生のときは授業中に積極的に手をあげたり、係のリーダーやクラス会の司会進行、体育祭や修学旅行の実行委員長を務めたりしていました。

 このとき培った、好奇心とそれに従い学ぶことへの態度、本を読むこと、周りに助けられながらも主体性を持って物事に取り組む姿勢は今も変わっていないと思います。

中学・高校時代

福岡県立福岡高等学校 2021年卒業
  1. 中学生

     中学生の頃はまさに優等生だったと思います。
     当時は医師になることを目標に、学区内でトップの公立高校に入学するために勉強していました。

     生徒会長に立候補しましたが落選し、その時以来自分のことを振り返り、客観的にとらえることを意識しています。

     また、当時は嫌われたくないあまり周囲に流され、失敗をしてしまったことがあったのですが、中学での恩師から周りに流されず考えて行動するよう教えられました。これは今も自分の中に根付いています。

  2. 高校生

     高校は志望校へ入学しました。そこでは尊敬できる同級生に囲まれ、進路を違えた今でも当時の友達と親交が続いています。

    しかし2年生になり、病院へ訪問して話を聞く中でそれまでイメージしていた医師像と現実とのギャップを感じました。
    とはいえ周りと同じように、親や先生に言われるがまま大学に進学することも選びたくありませんでした。自分で納得して進路を決めたかったからです。

    今考えるとここが人生の岐路だったと思います。



大学・専門学校時代

学校法人 滋慶学園 福岡デザイン&テクノロジー専門学校
  1. 高校卒業

     高校を卒業した後予備校に入学しました。そのあと自分のこれからの人生に向き合い、ゲーム業界に目指すことを決めました。

     その中で興味があったのはエンジニアとデザイナーでしたがPCを持っていなかったので、予備校を辞めて2ヶ月間の短期でバイトをしてお金を貯め、PCを買いました。

    その後Youtubeなどでチュートリアルに取り組む中でモデリングに魅力を感じ、独学と迷った末に専門学校に入学することを決めました。

     また、この頃協力して仕事をする力を磨くため、そして学費を稼ぐためにカフェでキッチンのアルバイトを始めました。

  2. 専門学校入学

     専門学校に入学しました。その後就職しやすさの観点からキャラクターではなく背景やモーションを勧められ、そちらを意識して授業を受けていました。

     このころ学校の授業でチーム制作を行い、一人ではなくほかの人と作品を作る難しさを知り、考えるきっかけとなりました。

     背景モデラーになるため勉強していましたが思うような出来の作品ができず、また熱中する事もできず、大いに悩みました。ゲーム業界を目指すことも諦めかけ、フリーターとして生活しようとさえ考えていました。

  3. 実家を出て一人暮らしを始める

    かねてより貯めていたお金で2年の夏から一人暮らしを始め、 親に頼らず自分で生活をする大変さを知るとともに、やってみたら意外となんとかなる!と自信を得ました。そこで自分に正直に、まずはやってみようと思い立ち、キャラクターモデラーを目指すことにしました。