松﨑 誠
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ヒストリー

出身地

大阪府豊中市

幼少期の暮らし、体験

大阪府豊中市で生を受けた後、ものごごろも付かない幼気な時期より平塚市、杉並区、浦和市へと父親の転勤異動に振り回され、小学校は3度転向(都合4つの少学校を経験)。 

子供ながらに世の理不尽さを痛感し、人との出会いの喜びと別離の辛さを肌身で感じ、また僅かながらにも周囲の人々との関わりや喜怒哀楽を経験させられたような気がします。


中学・高校時代

小学校卒業間近に父の地元である福岡県久留米市へ移住し、 平凡ながらに楽しい中学・高校時代を過ごしました。根がへそ曲がりなのか中学時代には九州地方にも拘らず、市のスポーツクラブでアイスホッケーチームに参加、高校時代は松濤館流派の空手同好会へ入部、地元の自衛隊駐屯地の隊員錬にも出稽古に通い、意外と真剣に取り組めたかなと、また普段は吉田拓郎とバイクと女の子のことしか頭に無かった様に思い??ます。

進学の際に、地元の九州大学や東京の有名私学を志望する友人が多い中、自分自身は幼少時代、東京近辺に住んでいたこともあり、関西地域に照準を定め、神戸と京都に在する国・私立を数校受験。

大学・専門学校時代

結果として同志社大学に進学し、そこでの出会いが私の人生を大きく狂わせる???こととなりました。

当時、同志社大学では2回生からゼミ履修が開始、私は杉江雅彦教授の教授らしからぬキャラクターに魅了され、杉江ゼミ(証券経済学)籍を置くことになり、卒業までの3年間、週一のゼミ講義や月3のコンパ、麻雀、四半期毎のゼミ研旅行や合宿など、24名の同窓と共にキャンパスライフを謳歌。また京都競馬場で2年間ほどアルバイトをしする切欠で、競馬と出会い、とは言いつつも所詮は学生レベルのギャンブルですので細やかなものですが、どうすれば儲かるかをテーマに僅かな叡智を絞った結果、競走馬の血統研究に嵌った時期がありました。今もG1レースで勝負する際の予想におけるKPインフォとなっています。

問題は就活(当時は4年秋)にあります。ゼミ同期の約7割が金融・銀行、2割がメーカーを志向残りの私ととても親しい友の2人が証券の世界に迷い込んでしまいました・・・・・。

私の場合は、コンパの席上でよく杉江先生と話す中、「君は何を目指しているのかい?」と問われた際に、幼少期の経験にも起因しているのでしょうが、「どうもサラリーマンには余り向いてない(嫌い)ので、何か自分で出来ること(起業)をしたいと思いますが、特段の具体アイデアも見つかりません。」との返答に対し、先生曰く「起業を目指すのであれば、先ずは社会の仕組みや実態を学ぶこと先決、実社会学習&体験の意味においては証券会社がベストな環境なのでお薦めだ」と、そりゃそうかも!! この一言を真に受け、一番手厳しそうな野村證券へ入社するハメとなり私の社会人生はスタートしました。




職歴

新卒で野村證券株式会社に入社。 (9年在籍、国内証券営業一筋)

Goldman Sachs Co.へ転職。 (米国投資銀行に7年余在籍、主に株式・デリバティブ・組成商品などの機関投資家営業)

Peregrine Brokerageへ移籍。 (香港に本拠を置く華僑資本のアジア地域特化型の投資銀行に3年在籍)

Altpath Consulting Co.Ltd.設立。 (初の起業として、オルタナティブ投資専業のコンサルティング会社を立ち上げ。その後、次段の会社に統合。)

Prestige (MCP) Asset Management Co.Ltd. (業務上の必要性が浮上し、投資顧問及び金商Ⅰ種業(証券)兼業認可を取得、海外在のヘッジファンド、バイアウト、VCファンド等のスペシャリストと連携協働を図るブティーク証券会社を10数年運営後、2013年に経営権を海外取引先に譲渡。)

EPP Darwin Co.Ltd. (事業経営陣に対するコンサル支援業務を行う個人会社を設立。経営管理、新規事業企画、戦略立案など主眼に置き、これまでに縁の薄かった実業社会における活動に注力。)

蛇足ですが・・・、仕事面で幾つものステップを踏んで参りました経験則より皆様にお伝え出来る点として、最初から明確なモノでなくても良いので(与えられるもので無く!!)自分自身による目標の設定と達成に必要となる専門性・技術・経験などを認識し、それらを目の前の業務に取り組む中で習得する、得られないと判断したならば目標に沿ってキャリアステップを踏む。そうすれば自ずと進むべき道(自分のやるべき事)が開け、また一生懸命に取り組めば、その次の目標も自然に醸成されるループの中で、自身が自己をモチベートする形で仕事に取り組めると云う事でしょうか。