ふたば
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マインド

「案ずるより産むが易し」の精神で

「やりたい」と思ったことに対して、「誰かが同じようなことをするかもしれない」、「今の私では力不足かもしれない」、「これをやっても結果的には意味がないかもしれない」なんて躊躇してしまうことがよくあります。

私は基本的に自分自身に対して自信をあまり持っていないので、ある一つの行動をするにしても「これだ!」という明確な道が見えることはありません。

ですが、そう躊躇している間こそが、本当に誰かの助けを必要としている人に対して失礼に値するものなのではないかと考えるようになりました。

私一人の力なんて微力だし、世界を変えられるなんて壮大なものではないですが、それでも「今」を構成するいくつかの要素なら変えられるかもしれないと私は思っています。

そのためにも、躊躇せずに「やりたい」と思ったこと、「やらなきゃ」と思ったことは「案ずるより産むが易し」の精神で実行するようにしています。

「当たり前」をなくす

私は「当たり前」という言葉が嫌いです。

それはただの主観であり、Aさんが「当たり前」と思っていたことがBさんにとっては全然思いもつかなかったことかもしれないのに、「え、なんでこうしなかったの?ここではこうするのが当たり前でしょ?」というのがお決まりです。

それはAさんとBさんのような一人対一人の場合もありますし、一人対複数かもしれないし、あるいは国対国かもしれません。

「あの国は貧しいからその国の人たちは可哀想だよね」

これも「当たり前」を押し付けています。

十人いれば思っていることも、持っている理想も十通りあります。なら、それぞれが思っている常識だって違うはずで、まさに十人十色なのです。

だから私は、相手に対して自分の意見をいう時に一度考えます。「主観を押し付けることにはならないかな」と立ち止まり、相手の気持ちも考えながら行動や主張をするようにしています。

苦しくてもできるだけポジティブに

私自身もそうなのですが、誰かに暗いことを言われるとそれだけで気分が落ち込むときはないですか?

私は誰かに必要以上に心配をかけることはしたくないので、できるだけ暗いことを言わずポジティブな態度でいるようにしています。

明るくいて、そんな私を見た人がまた元気になれれば嬉しいなといつも思いながら生活しています。

生き方

  • 自分のためだけじゃなく常に誰かのためを想って行動できる
  • 苦しくてもできるだけポジティブに
  • 「案ずるより産むが易し」の精神で

仕事・活動

  • 誰かがやってくれるだろうではなく自分がやる
  • メリハリをしっかりする

人間関係

  • 「当たり前」をなくす
  • 「ありがとう」と「ごめんなさい」は言葉に出す

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