人生は一度切りで、時間は決して過去に戻らず、多くの人が「あの時こうすれば良かった」とか、「どうしてあの時にそれができなかった」であるとか、少なからず後悔したりするものです。
そして、そのことに気が付き、自分を顧みる頃には、すでに時が流れ過ぎていて、解決しがたい悩みになっていたりもします。だからこそ、人は直接的に自分の遺伝子を残そうとしたり、或いは、自らの「思考や思想」の遺伝子を世の中に託したり、残そうとしたりするのでしょう。
世の中を見渡すと、特に日本においては、「こういう人はこうあるべきだ」だとか「普通は〇〇だ」という同調圧力が蔓延り、少しでもそのレールから外れた行動や発言をすると、時に居場所を失うほどに非難の対象になったりもしますし、一度そのレールから外れると、軌道修正に多大な時間や労力を必要としてしまう、とかく現代はそんな社会に見えてしまいます。本当は「普通」なんて規範は存在しないのではないでしょうか?
もちろん、組織や社会活動においては、共通のゴールに向けて、最低限のルールや理念、価値観の元、共に行動する必要がありますが、人ぞれぞれ、ここに至る歩んできた人生が異なる以上、その人の気持ちや考え方はその人「個人」にしか分からないのが本当で、世の中はもっと他人の価値観や生き方の多様性を認めるべきだと考えます。
しかしながら、現実社会はそこまで開かれた世界ではなく、人類の進化は遅く、世界が変わるには人生はあまりに短すぎます。
「今すぐ別の自分になりたい」
「異なる世界観や価値観の元で新たな自分の居場所をつくりたい」
「今の自分では不可能なことが可能になる世界に行きたい」
…そんなことを現実にしてくれるのが、「仮想空間」なのではないかと自分は考えます。
よく「バーチャルは現実逃避」、「バーチャルは虚構」という声も耳にしますが、そこに存在する人が人である限り、仮想空間で繰り広げられたことは決して「嘘」ではなく、現実であり価値あることです。
世界を変えるのは自分自身の行動からだとしても、その世界自体はリアル《現実》という皆に平等とはいえ、「たったひとつ」しか与えられていない今の世界に、様々な「仮想空間」が加わることで、より自己実現できる選択肢が個々人において増えるのは人類を必ず豊かにするはずです。
この実現のためには、技術的なハードルや莫大なコスト、新たな法整備や企業間の共通規格の合意形成などなど、およそ一人では不可能な途方もないことだらけです。
明日突然に世界は変わらないですし、今の自分には何もできないのかもしれません。しかしながら、世の中がいずれこの実現に向かうと自分は信じています。
自分自身は、ちっぽけな存在で、日々出来ることは僅かですが、人生の残り時間を通して少しでもこのビジョンに共感できる人を増やせていけるよう、一日一日を大切にしていきたいなと思います。
引き続き、時間や距離を超えて人と人をつなぐサービスやモノ作りを丁寧に真剣に進めていきたいです。