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ヒストリー

出身地

宮城県

幼少期の暮らし、体験

動物が大好きだった幼稚園、小学校

  宮城県仙台市に生まれた自分は、とにかく動物が大好きな子供だった。週末になると図書館とペットショップ巡りが私達家族のお決まりになっていた。私はとにかく犬が好きだった。3歳ぐらいの時から右手に犬の本。左手に本物のリードをつけた犬のぬいぐるみを引きずって、どこまでも歩いていた。幼稚園から帰ると、冷蔵庫が入っていた大きな箱にありったけの犬のぬいぐるみを並べ、その中に自分も入って時を過ごすことが日課だった。

しかし、小2の頃、自分の家は官舎で、犬は飼えないことを知った。そこから私はペットショップにいたハムスターに心を惹かれ、夢中になっていった。母は買うつもりはなく、私に難問をぶつけてきた。そろばんで3段を取ったら、ハムスターを飼おうと。小2の私に。私はどうしてもハムスターが欲しかった。そして小5の春やっと夢を掴んだ。そうしてやってきたのが、ハムスターのパクちゃんだった。それから我が家にはハムスターが欠かせない家族の一員となっている。


東日本大震災と私の夢の始まり

  小5の3月。私は東日本大震災を経験した。多賀城市に住んでいた私は、学校で帰りの会の途中だった。その時は事の大きさに気付くことなく、母が迎えにくるのをみんなと一緒に待っていた。電気もつかない暗闇の体育館で、全身ずぶ濡れになった友を見た時、何があったのか不思議だった。その子に話を聞くと、信じられないことばかりだった。その子が風邪で学校を休み二階で寝ていると、溢れる水が大量に家に入ってきた。慌てて二階の窓から逃げたが、どんどん流されていく。必死に掴んだ電柱にしがみついていると、知り合いのおじさんが窓からロープを投げ、引き上げてくれたそうだ。意味がわからなかった。夜が明けて、いつもの景色が泥だらけで、全く違っている事に私は目を疑った。足が震えた。体育館での避難生活、電気ガス、水道のない生活に戸惑いしかなかったが、小五の私にとって長時間の水くみに並ぶことだけが日課となった。

  何日かして、やっと石巻の祖父母の家に行くことができた。泥だらけの家や、町の様子は本当に悲惨なものだった。母はただただ泣いていた。その姿に、祖父母が「命あっただけ良かったんだ。もうけもんさ。」と、「泣くな。」と言った。母が3時間以上並んで買ってきた食料を、近所の人達と、「みんな一緒だから」と笑って当たり前のように分けている姿に、私は祖母らしいと今なら思える。そんな気丈な祖母が1度だけ涙したことを、私は一生忘れない。それは病弱な祖母が濡れて泥だらけの薬を飲んでいた日々の中、医療スタッフが一軒一軒「大丈夫ですか。困ったことはありませんか。」とやってきた時だった。「大丈夫ですよ。頑張りましょうね。薬はすぐ調達しますね。」と、本当に優しい笑顔と温かみのある言葉だった。祖母は、「そうですか。よかった。」と涙をこぼしていた。あの光景は今もずっと私の心を締め付け、焼き付いている。

中学・高校時代

宮城県仙台二華高等学校

  私は仙台二華中学、高等学校と中高一貫校に入学した。二華での生活はとても新鮮で、今もずっと続いている仲間との絆は、私の宝物になっている。中学では書道部、高校ではギター部に所属していた。

中学時代はとにかく全てのことに全力だった。部活に、学級委員に、色々な初めてのことに胸を躍らせ、一生懸命やった。楽しかった。

高校時代では、チームの大切さを学んだ。だから今もずっと変わらない友情がここにあると確信している。苦い思いも、涙したことも、納得いかないことも、胸に押し込めたこともあった。しかし、中学、高校、全ての出来事が今の自分を作っているのだと思う。そう思うと、やっぱり全てのことに感謝しかないし、人生は面白いと楽しめる自分がいる。

大学・専門学校時代

宮城大学

ボランティアから学ぶ人の優しさ

  医療者をめざし、大学へ進学した今、私はボランティア活動にあけくれる日々を送っている。大きな台風が来た時は、被災された方々のために、何か出来ないかと、すぐに現地へ飛んだ。見覚えのある床下の泥かきをし、全身を泥だらけにし、汗をかいた。

  気仙沼の住民さん達との交流会では、健康相談をさせていただいた。自身の健康について意識してもらうためのものであったが、何より私は心というものの大きさを学んだ交流会であった。医療者を目指す上で大切なことは、高い医療技術や対応は当たり前である。しかし、それ以上に相手を思いやる心、心と心で会話する力の大切さを学ぶことができた。

  今は、この世に生まれ産声を上げて泣くことができなかった赤ちゃんとお母さんのために、小さな小さな産着を手作りするボランティアに参加している。決して上手じゃないけれど一針一針心を込めて。


大切な仲間

  私は今も夢に向かって1歩1歩少しずつ歩み続けている。日中韓子ども童話交流に参加して感じたことは、自分の視野の狭さだった。小5で参加した時は感動の嵐だった。そして今も続くあの時のチームの絆は、私の一生の大切な宝物だ。

  そして、今回大学生として参加し、中国や韓国の友と繋がることができたこと、三国の仲間との絆は、私に色んな意味で力を与えてくれた。色んな世界を見せてくれた。全く違う分野の仲間。本当に出会えてよかった。心強い絆を得た。みんなを通し、相手に対する思いやり、相手を思いやるその優しさを、しっかり学んだ。

  そして今は、かけがえのない仲間にエールと感謝の気持ちでいっぱいだ。私の今の私にとって、頑張ろうという力の源になってくれている一つ。私はこれからも夢に向かって頑張っていく。この出会いに感無量の思いでいっぱいだ。