押野 陽依
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ヒストリー

出身地

埼玉県

幼少期の暮らし、体験

とても人見知りでちょっとした事ですぐ泣いてしまうような子でした。
学校終わりは近くの公園や学校の校庭に友達と集まって鬼ごっこや遊具で遊んでいて今までで1番活発な時だったと思います。感情をよく表に出していました。
この頃から絵を描くのは好きで休み時間は友達と協力して漫画を書いていたりいました。物語を構成するのが好きで色んな話を作ったのを覚えています。
この頃から私は少し変わっていて、放課後友達と遊んでいても15時半くらいになったら夕ご飯だから帰るねって言って1人帰っていました。小学校低学年の頃は19時就寝が当たり前で寝る30分前になったら童話が沢山載っている本を読むのが習慣になっていました。今よりも規則正しい生活を過ごしていたと思います。
私が遅く帰ることが全くなかったので門限もなく、宿題も自主的にやる真面目ちゃんでした。
この頃の夢はディズニーのキャストになることでした。

中学・高校時代

中学に入ってから夢はファッションデザイナーになりました。服に興味を持ち始めて絵を描いたりするのが好きだったからです。
この頃から正義感強く、多分実年齢より精神年齢が少し高かったと思います。ちょっと男子!ちゃんとやって!というようなタイプの子で1部の子からは嫌われていたと思います。
​ただ真面目ではあったので部長や班長を務めることもあり、仕事はそれなりにこなしていたと思います。成績も特に悪くなく、いい子だったのではないでしょうか。
​高校に入り、夢がWebデザイナーに変わります。
ファッションデザイナーについて詳しく調べ、実際にやってみようとミシンも買い、夢に向かおうとしましたが自分に合わないと感じ、Webなら時代にもあっていて出来そうと感じたためです。
また、高校に入り自主的にテスト範囲表を作っていました。中学の時、定期テスト前になると範囲表が配布されたのですが高校でそれはなく、私は計画立ててから進めるのが好きで範囲表ないと不便だなと感じたためです。それが思いのほか上手く作れたので学年の子に共有して必要な子にはプリントを刷って渡していました。
範囲表作りはデジタルでやっていたので向いてるかも!と思ったのとWebデザイナーを目指した理由の一つです。
中・高校と反抗期もなく人間関係にはかなり悩みましたが穏やかに夢を探しながら生活していました。

大学・専門学校時代

高校3年で進路を決める際、最初は大学で考えていました。しかし、高校の時点で興味無いことを学ぶことに飽きを感じていた私は大学4年間も通い続けられる自信が無い、お金がかなりかかることもあり、専門学校に興味を持ち始めます。
そこで、いくつかデザインの学校のオープンキャンパスに行ってグラフィックデザインを知ります。
広告、ポスター、パッケージなど幅広い分野に携わっているグラフィックデザインというものに興味を持ち、夢がグラフィックデザイナーと変わります。
私が受けたいような授業構成、話しやすい先生方、楽しそうな雰囲気に惹かれ今の東京デザイナー学院に入学することを決めました。
今、好きなことを存分に学べることに楽しさを感じています。この先また夢が変わるかもしれませんが、今の夢に向かってこの学校で頑張っていきたいと感じています。