堀 千寧
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

神奈川県生まれ

幼少期の暮らし、体験

~2歳  神奈川県で過ごす。

おしゃべりがだいすきで、単身赴任中の父に会いに行くために新幹線に乗った時に、「イカの足は10本、タコの足は8本…ダンゴムシの足は14本」とエンドレスで母に話しかけていたとか…笑

~小1  滋賀県で過ごす。

保育園では、毎日のように泥遊びをしたり、虫を捕まえたりしていた。他の女の子のお便りポケットには可愛いお花が入っていたりするのに、私のポケットだけガサゴソ動いている(捕まえた虫やトカゲが入っている)ことも珍しくはなく、親はお迎えの時にいつもドキドキしていたらしい…

年少の時に、電子ピアノを買ってもらい、ピアノ(グループレッスン)を習い始める。すごく負けず嫌いで、練習もやれる時は納得がいくまで何時間でもやっていたことも…。

年少の夏に、弟が生まれる。弟の名前の候補を聞かれ、「ひらめ」だの「ゴジラ」だのよくわからない名前をあげ、親戚に爆笑された。母の妊娠中の検診について行ったり、出産に立ち会ったりしたことから、医師に興味を持ち始め、最後の検診の時に母の主治医(産婦人科医)に「わたしあかちゃんをみるおいしゃさん(新生児科医)になる!」と宣言した。

小1

詩の暗唱にハマり、1年間で学年で1番多くの詩を覚える。

夏休みの自由研究で魚のウロコから年齢を判別するというものをやったことがきっかけで、海や魚がだいすきになる。

ピアノでグループレッスンだけでなく、個人レッスンも始める。両親が共働きだったため、学童から1人で20分ほどかけて週に2回レッスンに通っていた。

小2~小4  石川県で過ごす。

通学路にいたトカゲを追いかけ回し、両手にトカゲを持って帰宅することもしばしば…。

近所に大きな図書館があり、土日は図書館に通うことが日課のようになっていた。

冬はほぼ毎週スキー場に通い、スキーをしていた。

小2のときに、念願のスイミングを習い始める。スイミングに通うのが楽しくて、スイミングの日は宿題を終わらせるのがめちゃくちゃ早かった。

小2の秋に、2人目の弟が生まれる。後に彼が自閉症であることが分かり、現代社会の発達障害の人の生きづらさへの問題意識に繋がる。

小4の夏にジュニアかなざわ検定 シルバーカードを取得。

小4の夏休みの自由研究で、性転換をする魚についての研究を始め、めちゃくちゃハマる。博物館の学芸員の先生から研究についてのたくさんのアドバイスをもらい、まとめた研究は、「海とさかな」自由研究・作品コンクール研究部門にて、優秀作品賞を受賞。

ピアノはグループレッスン、個人レッスンともに続けた。グループレッスンの同じグループの子たちのレベルがとても高く、グループでは落ちこぼれだった…

小4~小6 千葉県で過ごす。

音楽がだいすきだったこと、また、転校先が吹奏楽部の強豪校だったことから、転校してすぐ吹奏楽部に入部。パーカッションか金管楽器がいいと希望を出していたのに、渡された楽器はクラリネット。最初は少しショックだったが、すぐにクラリネットがだいすきに!吹奏楽コンクールで金賞を受賞したほか、小6のときには、中学受験シーズン真っ只中の1月末にアンサンブルコンテスト東関東大会に出場し、金賞を受賞。

小4の二分の一成人式、小5の6年生を送る会、小6の入学式、6年生を送る会、卒業式で合唱のピアノ伴奏。

小5、小6でも、夏休みの自由研究で、性転換をする魚についての研究をした。小5、小6ともに、市の科学展で金賞、地区の科学展で銅賞を受賞し、県の科学展に出品。

ピアノは部活の関係で個人レッスンのみに。細々と続けるかと思いきや、コンクールに出たりもしていた。

小5の時に、インストラクターをしていた祖父の影響で、ダイビングのライセンス(JR. OPEN WATER DIVER)を取得。ますます海がだいすきに!

中学・高校時代

中学時代  中学受験をし、私立の中高一貫校に入学。

3年間文化祭実行委員をしていた。

部活は小学校の時と同様に吹奏楽部に入部。クラリネットからオーボエに転身。強豪校ではなかったが、高校生の先輩方との差にいつもビビっていた。

中3のとき、高校の医学部進学を目指すコースへの進学を決める。この時から研究医にかなり興味を持っていた。

高校時代  医学部進学を目指すコースで3年間過ごす。

所属コースの課外授業の関係で、あまり部活に行けず、両立に悩んだ時期も…。

高1のとき、課外授業の化学実験講座で、実験ノートの書き方を先生にとても褒められ、研究医になることを本格的に考え始める。

高1の夏に出たジュニア国際音楽コンクール ピアノF部門で4位に。

高1でも文化祭実行委員をした。高1の文化祭では、ドクターXのパロディ映画を撮影したものを流したり、その中で出てくる病気等について調べたりした展示をし、投票の結果、学年上位に!

高1の3月に、お茶の水女子大学の海辺の生物実習に参加。

高2のとき、担任からの指名でなぜか学級委員長をやることに。

高2からメディカルサイエンスという高校独自の科目がスタート。実験をしたり、再生医療について専門家の先生の講義を聞いたりして、再生医療への興味関心が非常に高まる。

高2の夏に、県の高校生選抜吹奏楽団のメンバーとして、みやぎ総文に参加。普段ほとんど関わりのない他校の仲間と音楽を作れたことは最高の思い出に!

高2の夏休みに、1泊2日で、高校の先生に関西方面の大学やCiRAの見学に連れて、行ってもらう。普段はなかなか見ることのできないCiRAのいろんな所を見せてもらったり、お話を聞いたりしたことで、再生医療の技術を使って発達障害のメカニズム等の研究をしてみたいと思うようになった。

高2の3月に第17回日本再生医療学会総会 中高生のためのセッションに参加し、ベーシック部門とアドバンスト部門の両方で銅賞を受賞。準備はとても大変だったが、最先端の研究をされているたくさんの先生方のお話や他校の学生との交流を通して、とても深い学びのある時間だった。

高2の3月に、中高5年間続けた吹奏楽部を引退。引退公演だった定期演奏会では号泣。部活の同期や同じパートの先輩や後輩とは今もご飯に行ったり遊んだりするほど仲良し。

高3の5月の体育祭の後、本格的に受験勉強を始めるも、医学部合格は果たせず、浪人を決める。

大学・専門学校時代

1年間浪人生活を経て、医学部に進学。

inochi WAKAZO projectが主催するinochi Gakusei Innovators' Programの今年度のテーマが「発達障害と、ともに歩める社会をつくる」であることを知り、興味を持ち、inochi WAKAZO projectに加入。

発達障害のメカニズム等の研究を通して、発達障害の人が、より生きやすく、もっと笑顔で過ごせるような社会の構築に貢献したいという思いを胸に、日々勉強中。