カモちゃん
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ヒストリー

出身地

静岡県浜松市

幼少期の暮らし、体験

好奇心旺盛でした。

興味のあることにとことん没頭していました。

確か当時はムシキング。笑

中学・高校時代

静岡県立浜松南高等学校 2017年卒業

共通点は 【陸上競技部の活動に全力だった】こと。

中学は、【人のため】の行動は躊躇がなかった。

でも、どこかで自分を押し殺していた引っ込み思案なところもあった。

高校は人の目を気にするようになってしまった。

陸上は自分と向き合うスポーツ。目の前のことに一生懸命だったし、自分の責任でもあったから、自主練習にひたむきに取り組んだ。

自分の行動がどう思われているか、気が気でなかった。人の目はとても意識していて、ひたすら『よく思われたい』と、自己防衛に走っていたなあ。

大学・専門学校時代

静岡県立大学

【備忘録っぽくなってしまいました。支離滅裂に書いたら1000字超えました。読みにくいと思います。あくまでも自分のマインドセットとして記録に残そうと思います。】

とにかく視野を広げたい。自分を変えたい。

一貫して、陸上は『好き』で続けている。その他だと…

大学一年生時は、街コンの運営に携わらせてもらった。実家を出る決意をし、シェアハウスに足を踏み入れた。

大学二年時は、学生団体の活動に努めていた。でも、そこではサポートばっかり。【自発的】という言葉が自分になかった。なぜなら、その行動の結果『自分が傷つくことを恐れていたから』。つまり人の目は、相変わらず気にしまくっていたのである。

また、学部の新入生歓迎会の責任者を務めた。リーダー経験だ。会は大成功。運営は失敗だった。みんなの自発性を尊重したい。その思いが裏目に出てしまった。自由にさせすぎて、逆に何をすればよいのか右往左往するメンバー。タスクの大半は自分で請け負ってしまった。『人を頼る』ことが圧倒的に苦手だったのである

【自由は不自由さの中にある】この言葉を痛感した。リーダーはみんなに行動指針を示さなければならない。全体計画・ビジョンを絶えず修正していかなければならない。

みんなと並走する。そのために、みんなに道しるべを作ってあげることの大切さを実感した。

大学三年時。ここが成長のターニングポイントだと思っている。きっかけはゼミ活動。ゼミ活動では、まちづくりコンテスト、自らイベントの主催に取り組んだ。

【当事者意識の大切さ】【先を見る・ビジョンを描く】【自分を変える。行動する】

これらの大切さを感じた。人生でいっちばん濃い学びだった。

自分をよくしたい。自分を守りたい。やろうと思えばできるけど○○があるから…と、【自分の思い込みがすべてで、責任から逃れ、人から言われないと動けない、自分を守りまくっている最高にダサい】自分を変えるきっかけになった。

創り手は自分だ。動くのも自分だ。相手の思いにこたえるのは自分だ。【相手の思いを操作することなんてできない。相手の思いを操作させるのは紛れもなく自分の行動だ。】

責任なんて付きまとう。当事者の声を聴くなんてもはや当たり前である。でも、大切なのは、変えられない相手の思いや態度を気にするのではなく、変えられる【自分の課題にしっかり向き合うこと】が大事なんだと。

大切なことに気づいた。

大学四年。まだ自分は変わり切っていないどうしてもプライドというか、【自分をよく見せたい】という考えが完全に消えたわけではない。

それを変えるのは自分の行動だ。責任を持とう。自分を変えるために行動しよう。誰かのために自分は何ができるか。主語はいつだって自分。変えられない相手のことを気にするのではなく、相手のために自分は何ができるんだろう。見返りは求めない。いうなれば、見返りは自分の行動次第である。

嫌われる勇気にて、こんな言葉があった。

【自分と他者の課題を区別する】

まさしくその通り。今までの自分は、自分の力ではどうすることもできない他者の課題にばかり目を向けていた。でも、他者の課題は他者が処理する。相手の感情は相手が決める。

ではどうするか。答えは明白だ。

自分の課題に向き合い続け、行動し、変わり続け、形にすれば良いのだ。

まだまだ頑張ります。

職歴

アルバイトは2つやっています。

1つは『海鮮居酒屋のホール』

めっちゃ声出すタイプです。賄いに生かされています。

もう1つは『ゲストハウスのスタッフ』

シーツを変え終えるころには汗が止まりません。

英吾しゃべれません。

です。