高橋 快
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

神奈川県藤沢市

幼少期の暮らし、体験

江ノ島にほど近い海辺という恵まれた環境でのびのびと育つ。小学校入学前からサッカーに明け暮れ、父親や友人らと毎日ボールを蹴っていた。この頃から、将来の夢としてサッカー選手になりたいと決めていた。すでに目標として明確なものであった。
6つと2つ上に姉が2人おり、どちらもフラダンスを習っていた関係で、幼いうちに何度かハワイへ行った記憶は鮮明に覚えている。小さい頃にそう行った経験があったことで、社交的な性格になれたと思う。

中学・高校時代

中学は地元の公立校へ通いながら、クラブチームでサッカーをしていた。サッカーのことしか頭にない中学生ではあったが、両親には「サッカーと学業を両立できないのは恥ずかしいこと」だと言われてきたので、成績は優秀であったし、学級委員も5回務めた。

中学1年次に、毎年冬に開催される全国高校サッカー選手権を見に行き、そこで目にした強豪・静岡学園高校に進学すると決め、練習に励んだ。早くから目標が明確であったこともあり、高校は希望通り静岡学園高校に進学することができた。県外への進学であったので、サッカー部の寮に入ることになった。そしてこの寮生活の経験こそ、自分の人生における土台となるものである。
静岡学園高校サッカー部の寮は、他の多くの強豪校の寮と違って、寮を管理するコーチや寮監がいない。厳密には寮監にあたる方はいるが、一ヶ月に数回程度寮を見にくる程度で、実質的には部員たちだけで管理する。言ってしまえば管理する大人はおらず、なんでもし放題という環境ではあるが、そこには強く自律が求められた。寮の教えはたった一つだけあり、それは「生活が試合に出る」というものだった。日本一を目指すサッカー部の一員である以上、日本一にふさわしい生活を送ることが最低限の条件であり、それは管理されるもとに成立するものではなく、確固たる目標への意識に基づき自らの意思によって実現されるべきであるという考えだった。こうした環境に3年間身を置いたことで、自分を律して目標や夢に向かう力を伸ばすことができたと思うし、若干15歳~18歳という一般的には未熟な年代にあって、より成熟した考えと価値観を持つ大人の方々の意見に耳を傾け、吸収していくことができたと思う。

大学・専門学校時代

大学では3年次まで体育会のサッカー部に所属していた。それはプロを目指していたので当たり前の選択であったのだが、大学サッカーの環境に身を置いたことは良い面と良くない面がそれぞれ存在した。
毎朝5時に起き、朝練に向かい、そこからキャンパスへ移動して授業を受け、夜は部費を稼ぐためにアルバイトをする。この生活は非常に厳しいものであったが、高校以上に自分を律しないといけないものであったゆえに、多くの成長があった。

しかしながら、弊害も大きかった。それは、サッカー以外の世界への扉が著しく閉ざされているということである。どんな競技においても、大学から先は一部の限られた人だけの世界になり、それはいわゆる「プロ」と呼ばれるものである。自分のようにプロ選手になることを信じて疑わずに続けてきた多くが、大学3/4年次に現実と直面し、そこでキャリアの露頭に迷うことになる。幸いなことに、僕自身は2年次に身近な人の多くがプロ選手になったことで、確固たる距離を意識することができた。そこからは自ら進んで海外一人旅をしたり、他に興味があるかもしれないと思ったことには積極的にトライしてみたことで、次なる目標や楽しいことを、本当の意味で発見し進むことができた。しかし大半の大学スポーツ選手は、突如として立ちはだかる現実に打ちひしがれている。

そんな身近な友人の姿を見ていると、「知る」か「知らない」かは、その先の人生を大きく変えてしまうなと痛感した。

また、知ってることの中からしか選択することは出来ないといので、人生において学び続けること、探求し続けることは非常に大切だと思っている。

こうして、今ある知識やこれから僕が知っていくことをメディアとして発信していくことで、何か少しでも新しい発見があって、視野が広がる人が増えたらいいなという思いで「LONDAM~素敵な人生は、知ることから~」というメディアを立ち上げ、運営している。

最近の大きな関心はサステイナブルで、同世代がもっと自分ごととして地球環境や労働環境におけるサステナビリティということを考えていける、アクションを起こしていけるように認識をアップデートしたいと考えている。