みん
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ヒストリー

出身地

宮城県仙台市

幼少期の暮らし、体験

保育所では友人と毎日楽しく遊んでいました。お絵かきや折り紙が大好きでした。

小学校入学と同時に埼玉県に引っ越し。入学当初は不安もありましたが、担任の先生や仲良しの友達のおかげで、楽しい日々を過ごしていました。英会話とダンスと歌を習っていました。

小学3年生の夏と4年生の春に転校しました。どの学校の友人とは、SNSで知り合うことも多く、「現代ってすごい!!!」と思います(笑)

中学・高校時代

宮城県仙台第一高等学校 2018年卒業

中学校は美術部でした。文化祭でダンスを踊ったり、卒業文集の表紙のイラストを描いたり、いろいろな活動をしていました。

高校は一言で言えば、“変”な学校でした。桁違いの自由さ(校則は「校内で下駄を履かない」と「トイレットペーパーを盗まない」だけ)と、生徒の自主性の尊重(標語は「自発能動」)が特徴でした。元男子校の雰囲気や風潮が色濃く残っていて、男子も女子も個性的でパワフルな人が多かったです。行事も充実しており、プロ野球チームの持つ球場での野球大会や、仙台市内を仮装して歩き回る行事、山道40㎞を歩く強歩大会、白熱した対戦でTシャツが破れる運動会、3日間で1万人が来場する文化祭がありました。

高校の思い出は語りつくせないほどありますが、私の人生軸を変えたともいえるのが文化祭実行委員会の活動です。中学生の時に文化祭を訪れ、文化祭の魅力の虜になり、高校では文化祭実行委員になると決めていました。高校1・2年生では宣伝広報部でした。パンフレットの作成、グッズデザイン、広告協賛の営業、ラジオ出演を担当していました。3年生では副委員長を務めました。

文化祭への熱い思いのある仲間と一緒に、1年中毎日毎日準備することがとても楽しく、文化祭終了後に達成感を共有する瞬間が何よりも好きでした。実行委員は、文化祭前日から4泊5日で学校に泊まり込みで準備をするため、心身共に限界状態でした。そんな中でも、文化祭を楽しんでくださる来場者の皆様の笑顔が活力でした。仲間にメッセージを書いてもらった3年間着続けた法被は、一生の宝物です。

大学・専門学校時代

お茶の水女子大学

高校時代から引き継ぎ、学園祭実行委員会(徽音祭実行委員会:KIFC)に所属しています。1・2年生はステージ企画の運営を担当しました。ステージ発表団体様のキラキラしたパフォーマンスをサポートすることが楽しく、学園祭当日はお客様と同様、パフォーマンスを楽しんでいました。3年生の現在は副委員長を務めています。

他にも、演劇サークルとフリーペーパーサークルに所属しています。友人と写真集を自主制作したり、制作会社でインターンをしたりと、私はつくづく「仲間と何かを創り上げる」ことが好きなのだと実感する日々です。