子供の意思を尊重してくれる両親のもとで、都会すぎない環境下でのびのびと育ちました。のびのび育ちすぎたな、と今となっては思います。
なお、母曰く「通信簿には毎年『来年以降が楽しみです』と書かれていた」そうです。それを読んだ母は毎回「今年は楽しみにしてもらえないのか……?」と思っていたそうな。そんなに成績悪くなかったと思うんですがね。
演劇部に所属しながら、日々興味のあることにどんどん頭を突っ込みながら生活していました。特に高校では、合唱部と漫画研究部も兼部していたところからして、いかに自分の欲望のままに生きていたかが見て取れますね。
なお、私が医学部を目指すと決意したのは高3の春。それでも両親や高校の先生方は「何年かかってもいい、自分が目指す道をゆきなさい」と応援してくださいました。今思うと、本当に周囲の人々に恵まれていたのですね……。
そして現在に至るわけです。
この大学に入るまで何年か浪人を重ねたわけですが、今では多くの友人にも恵まれ、自分は入るべくしてこの大学のこの学年に入学したのだと思っています。あ、余談ですがてごほ~むの他には合気道部に所属しています。