幼稚園時代は友人と多く遊ぶ活発な子でした。実際に卒園アルバムにはクラスのおひさまみたいな存在と書かれていました。年長の代で行う劇では主演を務めたこともあります。自分から立候補したのにもかかわらず、責任の重い役だとしり泣いたのを覚えています。しかし、小さいながらにみんなで劇を作り上げたのには大きな達成感を感じたのは覚えています。
小学校では、学校のソフトボールチームに加入し毎週土日はソフトボールを楽しんでいました。小学5年生の時には区大会、都大会を勝ち抜き全国大会に出場しみんなで鹿児島まで行ったのはとてもいい思いでとなりました。また、小学校の6年間ずっと絵画を習っていて、絵をかいたり、工作をしたりすることも好きでした。東京都議会議員賞をいただいたこともあります。学校生活では明るくほかの人を笑わせることが好きな、クラスのムードメーカー的存在でした。中学受験の勉強が忙しくなるまではほぼ毎日放課後公園などで遊んでいました。そして中学受験で第一志望であった芝中学・高等学校の入試に合格したのは当時の自分にとっての一番の成功体験だったといえます。
中学受験を経て中高一貫の男子校である私立芝中学・高等学校に入学しました。
部活動は柔道部に属し、週5日ほど柔道していました。最終学年では部長を務め、全部員が自分の背中を見ているのでチームの誰よりもストイックに練習に取り組む姿勢で部をまとめました。特に最も大変である夏合宿の経験が自分を部長としても人間としても大きく成長させてくれました。この経験が自分がリーダーシップを発揮した大きな一例といえます。
また、学年が上がるにつれ部活動だけでなく学校行事に積極的に関わるようになりました。高校1・2年のころには学園祭実行委員として地下ステージでのダンスやイベントを開催し多くの人々を楽しませました。なかでも学校関係者にかかわらず外部の人も多くみる場で、学校1のイケメンを決めるMr.芝の司会をしたことがとても楽しかった思い出です。学園祭や、学習塾であったりで他校の知り合いもできるようになり日常生活もとても充実していました。このころから、人との出会いが自分の形成に大きく貢献しているのだと感じるようになりました。
高校2年の冬頃から本格的に受験勉強を始め、高校3年の7月ごろが引退の時期で、それまで部活動との両立が大変だったのを覚えています。しかしながら、そんなハードな日々を乗り切り、必死な勉強の成果として第一志望だった慶應義塾大学法学部に合格できたのも今の自分の大きな自信となっています。
慶応義塾大学法学部政治学科に入学しました。
大学に入り焼肉屋でのアルバイトをはじめました。ここでのアルバイトは接客をとても重視するのですが、お客様とのコミュニケーションを通じこの仕事に大きなやりがいを感じて続けています。
学校の活動としては、福利厚生団体の国際関係会に入り役員選挙を経て団体の渉外局副局長として活動している。この団体で出会えた人々は楽しむときはとことんバカになって楽しむことができ、何かをやらねばならない場面ではどこまでも真面目になれる人ばかりでいい刺激をたくさんもらっています。
また、この団体のプログラムや国際的なビジネスコンテストに参加した経験により、国際的なコミュニケーションや出会いの楽しさも痛感しました。そのため、大学2年が終了した段階で半年から一年ほど休学し、海外を飛び回って多くの景色をみて、多くの価値観をしり、多くの出会いをすることが今の大学生活の大きな目標の一つとなっています。