山岡 光太郎
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

神奈川県

幼少期の暮らし、体験

ドッジボールと野球とサッカーと鬼ごっこなどとにかく外で遊ぶのが大好きな小学生でした

授業が終わると走って家に帰り,グローブとボール(と当時流行っていたカードゲーム)を持ってそのまま公園へ。夕暮れまで遊んで,家に帰ったらご飯を食べてゲームをして寝る。そんな生活でした。

仲の良かった友達が小学4年生の時中学受験の塾に入ったのを機に,自分も親にお願いし通い始めました。しかし,小5の時彼がタイに転校になった影響で結局辞めました。その後は再度上のような生活が1年間続きましたが,小6に差し掛かる頃,よく遊んでいた野球クラブメンバーが大会の練習の為あまり遊べなくなり,退屈になったので再度塾に行かせて欲しいと親にお願いしました。そこから1年間は追い上げるように勉強をして,なんとか第一志望の逗子開成に入学出来ました。

ちなみに習い事はサッカー(8年ほど),水泳(4年間),ピアノ(2年)をしていました。

中学・高校時代

逗子開成高等学校 2017年卒業

2012年4月,晴れて私立逗子開成中学に入学しました。この学校は中高一貫の男子校で,県内では4,5番目の(準)進学校です。ここでは僕の中高6年間の学生時代について,意識していた軸「勉強」「部活」「恋愛」に分けて書こうと思います。

【勉強】

中一の時はまるで興味がなかった勉強も,持ち前の負けず嫌いのせいで,選抜クラス制度ができる中三に向けて中二から始めました。「理系はなんとなくいや」という消極的な理由で特に疑問を感じることなく文系を選択(高一)。周りが大学受験を意識し始める高二からは部活のない日や電車の中等スキマ時間を利用して勉強を進めました。(塾には通いませんでした。)高三に入る頃,キャンパスや名前が個人的に格好いい,勉強したい学問がわからないから広く対応できる学部に入りたい,という思いから一橋大学社会学部を第一志望に据えました。

部活を引退してから必死に追い上げてやったものの,上位層とは勉強量の差があり,うまく行きませんでした。(浪人決定)

一つ原因として,社会科目(自分は世界史/倫理政経選択)をバカにしていた」ことがありました。部活や他のことで忙しかった高二,高三の頃,コツコツ勉強しているクラスメイトを「社会なんか暗記すれば誰でも出来るだろ」とバカにしていた節がありました。現役時代は結局その社会に最後まで足を引っ張られました。そこで初めて「勤勉のすごさ」に気がつきました。浪人時代は「当たり前のことを当たり前に出来るようにしよう」と胸に刻んで,全科目の底上げを図りました。

努力の甲斐もあったのか,秋には某S台予備校の模試で第一志望の一橋大学社会学部全国1位を3回ほど取ったり,予備校で表彰されたりと今まで自分が経験したことのないことが起きました。喜ぶべきところだったのですが,当時自分のコントロールにとても苦しみました。自分が勉強で褒められることなどそれまでなかったからです。

苦しみながらも色んな人に助けられてセンター試験,私大と順当に突破し,2月末に第一志望の一橋大学を受けました。感触は悪くなく,てっきり通ったものだと思い3月9日大学まで発表を見に行くと,自分の受験番号はありませんでした。(そこから一橋大学経済学部後期試験までの3日間の孤独感は人生で感じたことのないものでした。)

そんな経緯で,2018年3月に慶應義塾大学経済学部の進学が決まりました。

【部活】

小学校の友達の多くが野球をしていた影響で,中学に入って「野球部」「サッカー部」「ヨット部」(←海が目の前の逗子開成はヨット部が強くて有名)で迷いましたが,野球部に入りました。

中学時代は,うまく行かないことが多かったです。経験者との差を埋める為に試行錯誤しましたが,結局レギュラーは取れませんでした。チームも中々厳しい体質で,中学で野球は辞めるつもりでしたが,引退後野球なしではすることがないのに気づき結局続けました。

高校野球といえばやはり夏の大会です。吹奏楽部と沢山の応援に囲まれ本球場でプレーする姿に憧れていました。

自分のチームは弱小校で,毎年一回戦負け。自分たちの代に入り,レギュラーになると影響力も増したので,「どうやったら夏で勝てるか」をより考えるようになりました。自分は特に後輩と仲がよかったので,積極的にコミュニケーションを取ることでチームの一体感を上げる働きに力を入れました。

そうして自分たちの代は当時中々突破出来ていなかった春の県大会に出場し,練習試合でも良い結果が付き始めました。

夏の大会初戦は雨の日でした。先制された直後の先頭バッターが自分。流れ上,何が何でも出塁したかったところで投手強襲の安打,ヘッドスライディングで出塁しました。そこから繋がり,2-5で勝利,6年ぶりに夏の球場に母校の校歌が響きました。翌朝びっくりするぐらいかながわスポーツが大きく取り上げてくれたので,記事の写真も載せておきます笑


2回戦は県内の強豪私学,向上高校との試合でした。初回に3点取られたものの5回までは0が続き,あと少し粘れば糸口が掴めるかもしれない。チーム一丸で粘りましたが,5回裏に7点を取られ0-10で負け。僕らの夏が終わりました。部員が150人近い相手校の応援で揺れるグラウンド。カンカン照りの太陽。両校の応援で満席のスタンド。(あの日は祝日でした。)中学から野球を始めた自分がみんなと最高の舞台でプレーできて,沢山の人に応援してもらったあの瞬間は宝物です。

【恋愛】

男子校だったこともあり中学終わりまでは恋愛と無縁だった自分も,高校に入るタイミングで初めての彼女が出来ました。(小学校の同級生)

勉強や部活の合間を縫って過ごした時間はとても楽しかったのと,何としても夏の大会でレギュラーとして試合に出ている姿を見せたかったので,力になりました。夏の大会は開会式から観に来てくれて,思い出深いです。

大学・専門学校時代

慶應義塾大学

【大学1年生(2018年4月〜2019年3月)】

苦労した浪人生活だったので,大学生活に期待するものはとても大きかったです。

4月,大学に入学しました。「大学生らしいサークル活動はしてみたいものの,4年間使うのは違う」と考えた自分は,その4年分を新歓期間の1ヶ月に凝縮しようと試みました。笑 とにかく色んなところに毎日顔を出しました。一言で,楽しかったです。笑 でも予定を詰めすぎて体調を崩したのを覚えています。

(寮の友達とアメフト部の新歓に一緒に行った時の写真。新入生は無料でローストビーフ食べ放題。)

というのもサークルと同時に部活動もやろうとしたからです。一橋大学に入ったらラクロスをやろうと思っていたので,最初は慶應のラクロス部に入ろうとしました。初っ端からバリバリ活動があり,新入生は朝7:00に練習が始められるように準備。しかもほぼ毎日。というわけで4月末に早々離脱しました。笑 それでも部活はやりたかったので,新歓で縁があった準體育會のアメフト部に所属することが決まりました

(背番号4が自分)

同時に,学校の寮で出会った友人が自分に大きく影響したように思います。自分含めた学部の違う3人で,毎週月曜日の夜に「勉強会」(という名前の飲み会)を開いて近況や情報を共有する機会がありました。その中で「慶應の休学費が2年前?に安くなったという情報を初めて知りました。当時読んでいた本が休学を積極的に肯定してたこともあり,5月には2019年度休学する事を決めていました。

本格的に準備が始める必要が出て来た秋に部活を辞めることにしました。元々は休部して,帰国後戻る選択肢も残しておきたかったのですが,部活の体質上それは難しそうでした。

秋からは休学の準備をしつつ,DJをしている友達とイベントを開いたり,ミスコンに参加していた友達の応援をしたりただアルバイトはまとまった時間が取れる春休み(2月頭〜)が勝負と踏んで,出国前まで頑張りました。(2ヶ月半で90万円程)

1年生の時は「一つの分野に拘らずに,色々見てみたい」という思いがあって,手探りの中手を出し続けていました。休学して世界を旅する事でさえ,「必ず成し遂げたかった夢」という訳ではなく,「今後の大学生活を考えて行く上で世界や視野が広がるにはどうすればいいのだろう」と考えた自分なりの結果の一つでした。

【大学休学(2019年4月〜2020年3月)】

国際NGO NICEのぼらいやーというプログラムでボランティアをしながら世界を旅しました。カナダから始まり東回りで世界一周,計28ヶ国を訪れました。

なぜボランティアをしながら世界を旅したいと思ったのか?これは浪人時代が大きく影響しています。当時毎日が自宅と予備校の往復で,「世界が圧倒的に狭い」ことを強く感じていました。だから,大学に入ったら漠然と海外に行きたかったのです。まず思い浮かぶのは留学で,もちろんそれもしたいのですが,旅行でも勉強でもなく,もっとローカルな体験をしたり,日本と全く違う環境に自分の身を置いてみたかった。ボランティアは自分のイメージに一番近い気がしました。

活動場所は田舎が多く,機会がないと行かないような場所/体験ばかりです。現地の人と関わる機会も増えます。

大学2年生以降に挑む‘何かしら’を掴んで日本に降り立つ前には心の準備が出来ているように

これは出発前に決めていました。

【大学2年生(2020年4月〜)】

(エチオピアの首都アジスアベバで散見される中国建設)

(大学受験を終えた弟と旅したタイ・バンコク)

世界を旅して中国の影響力を目の当たりにしたり,最後に訪れたベトナム・タイがとても快適だったので,東アジア/東南アジア世界に興味を持ちました。旅をして自分は日本がとても好きなことに気づけた反面,日本だけにいるのも狭く感じてしまう節があり,将来は「適度に日本に帰れるぐらいに,世界で仕事がしたい」と思うようになりました。必要なのはまず①知識 ②経験 ③語学力(ディスカッションレベル)

まずは興味のある東アジア/東南アジアを少し掘ってみることに。大学の授業を中心に勉強しています。

また「慶應・延世・香港 東アジアリーダーシッププログラム」というプログラムがあり,ここでは上記三校に加えて欧米のトップ校の学生とディスカッションする機会が沢山あるそうです。まさにやりたい事なので,2021秋〜参加したいと考えています。これに向けてオンライン英会話を中心にレベルアップを図っています。

そして「学生会議」。旅をしていて出会った多くの人はお母さん・おばちゃん世代若くは子供達で,同世代のトップ層と関われる点が非常に魅力的に映りました。旅人が皆「ミャンマーはよかった」と言っていたこともあり,興味があったので,日本ミャンマー学生会議の実行委員として活動しています。