両親共働きで、幼少期は保育園で過ごしていた。時折保育園の先生が作ってくれたババロアが美味しかったことを今でも覚えている。小学校は地元の公立に通った。野口英世の伝記を読み、子供ながらに科学者に憧れていた事もあってか、理科の授業が好きだった。
中学校も、地元の公立に通った。中学校1年生から3年生の秋までの間は科学部に在籍していた。この部活は夏休みの間自由研究を行い、レポートとポスターにまとめると言うことが課題だったのだが、テーマを決めるにも顧問の教師が許可しなければダメという仕組みで、最初の年はかなり苦労したことを覚えている。それらの他にも、自分の考えた案を上級生の部員の前でスピーチするという事もあった。今になって考えてみれば、これは大学での研究に似ているのだとも思う。
大変だったとは書いたが、それが嫌いであったわけではなく、高校はレポートの多さと文化祭の充実、そして探究活動が売りの東京学芸大学附属高校に入学した。高校二年生の冬に高校三年生の春に東京大学での実験に参加し、その頃から研究職を将来の進路として考えるようになり、東京大学を志望するようになった。