高橋明子
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ヒストリー

出身地

大阪府

幼少期の暮らし、体験

園児時代、泥団子をピカピカにすることを目標に毎日砂場にいた。ピカピカになった泥団子を持ち帰っては家の靴箱に並べ、砂まみれにしていたが怒られなかった。走るのは苦手で、かけっこでは転けてしまった友達に声をかけて抜かされていたらしいが覚えていない。

小学生時代、図画工作と音楽が大好きで、図画工作に関してはマイペースとこだわりの強さが相まって、放課後居残ってまで制作を続けていた。




中学・高校時代

中学生時代、音楽が好きで吹奏楽部に入部した。先輩に憧れてアルトサックスを担当し、毎日練習の日々だった。毎日が忙しくて、楽しかった。

高校生時代、吹奏楽を本気で続けるため、吹奏楽の強豪校に入学。文武両道に励みながらも、秋ごろ体調を崩し二ヶ月の入院。留年が確定し、今後も同じ学校に通うことが難しいという医師の言葉により、吹奏楽を諦めることを決め、通信制の高校に転学。

その後、夢中だった吹奏楽をしなくなり、自分にできることを探した。

私の周りの環境は昔から多言語に溢れていた。というのも、韓国や台湾、タイ、マレーシア、チュニジア、ウルグアイ、フランス、、、など様々な国から日本に来る人をホームステイとして受け入れをしていたからだ。高校で留学に来たり、インターン、観光できたり、理由は様々だった。そんな環境にいたからか、「外国」「留学」というものにとても興味があった。

実は、高校入学前に留学について考えたがそのときはすぐに吹奏楽を選んだ。しかし、新しいことをしたくなったその時の私は、留学を選んだ。国もあえて英語圏ではなくスペイン。当時の自分にとったら、語学云々よりもその国に染まりたかったから。吹奏楽をやり遂げられなかったからこそ、今度は絶対にやり遂げる、10ヶ月で0から初めてどこまでいけるかという自分の挑戦だった。

ちょっと変わっているかもしれないけど、スペイン語を勉強してから行くのはやめた。

なぜなら、言葉というものについて考えたときに、私たちが話す日本語という母国語は、家族の会話であったり、問いかけによって自然に習得するからである。それに、今までホームステイの受け入れをした時もジェスチャーだけで何とかなってきたので最低限の挨拶や自己紹介はできる、というレベルで飛び立った。

スペインについて現地の高校に通い始めた。一ヶ月は赤ちゃんのようなニコニコマスコットキャラクターだった。というのも、勉強していなかったので何を言っているかわからずとりあえず笑顔とジェスチャーでやり切った。そのときはもう少し勉強してこればよかったと思ったが、一ヶ月もすると耳が慣れてきたようで、言われていることが大体わかってきた。笑顔でいたら親切にしてくれる友達も増えた。三ヶ月も経つと話す言葉も増えてきた。しばらくスペインで過ごしていて気づいたが、イメージ通り陽気で明るい人が多い。もちろんとても真面目で勉強熱心の子もいるが、音楽がかかったらみんな踊り出してしまうようで、心は本当に明るいなという印象。明るくポジティブになりたいという目標もあったのでそんな人たちに囲まれてすくすく育った。アジア人というだけで差別されることもあったが、すっかり染まっていた私は、スペイン語で陰口をいう人たちに強気で向かっていた、というか言い返していた。10ヶ月で人は「赤ちゃん」から「立ち向かえる人間」くらいに成長する。周りの環境も重要だが、伝えることを諦めないことが成長につながったのではないかと考える。

そして10ヶ月の留学を終え、日本に帰国した。

帰国して、一番に思ったのは自分は本当にいろんな人に支えられているということ。そして、人を大きな括りで決めつけるのではなく、その人自身と向き合うことが必要だと気づいた。それは、いろんな価値観の人に出会ったり、差別される側になったり、病気になったから気づいたことだ。身を以て気づけてよかったと思う。

大学・専門学校時代

元々教育に興味があり、幼稚園、保育園、小学校の免許を2年間で取得できる短期大学に入学した。毎日5限まで授業があり、長期休みも実習があったため、毎日大変だったが仲間に恵まれ楽しく過ごした。

卒業後を考えた時、このまま教育に携わるのではなく、社会に出たり、いろんな経験をしたいと思い進学を考えた。短大でも図工の授業があり、幼少期からのこだわりを発揮した。そこでやはり私は美術やデザインなどのクリエイティブなことが好きだと気づいた。ギリギリまで迷ったが、卒業後は専門学校に進学を決めた。



職歴

高校2年時、留学の費用を貯めるため、ドトールコーヒーで約1年働いた。

高校3年生の1月から今までは、梅田のスターバックスコーヒーで約3年半働いている。第2の学校のような感じで日々成長できるような環境で働けて幸せだ。今は時間帯責任者になり、マネジメントにも携わるようになった。絵を描くことが好きなので、オファリングボードも描かせてもらっている。美味しそうに見せるのが難しい。