生まれも育ちも、北海道札幌市です。札幌は都会のイメージがあるかと思いますが、私の家は札幌の端っこ。近所にキツネが出るような、緑豊かな場所で伸び伸びと育ちました。
幼稚園は、芸術系のことを学べる少し特殊な所に行きました。今の私がよく「個性的だね」と言われるのも、ここで育まれた感性のおかげなのかもしれません。
中学は地元の公立です。北海道は東京みたいに私立中学がそんなにないので、ほとんどの人は受験せずに地元の中学へ進みます。中学時代は、習い事のクラシックバレエと生徒会の活動で毎日充実していました。その合間を縫って、近所の個人塾に通い、高校受験に向けた勉強をしていました。塾の先生のことはお母さんのように慕っていて、今でも付き合いがあります。そんな大好きな先生を喜ばせたいという気持ちから、北海道1の進学校への受験を決意します。絶対合格したい一心でけっこう勉強してましたね。
そんな努力が実を結び、見事志望校に合格しました。高校は北海道1の進学校と言いながら、私服、ピアス髪染めOKの自由な校風だったので、思いっきり青春ライフを謳歌しました笑
中2のとき、南アフリカW杯をみて激ハマりしたサッカー。それがきっかけでスポーツ雑誌「Number」を読むようになり、「Number」の記者になるのが高校時代の夢でした。そのため、マスコミに強いと言われていた早稲田大学に入学。
大学1年の頃は、スポーツ記者になる夢を追いかけて、早稲田大学のスポーツ新聞を発行するサークルに入っていました。しかし、活動内容が想像と違っていたこともあり、サークルをやめようか悩んでいました。
そんなとき舞い込んだ、東日本大震災被災地、気仙沼へのボランティアの誘い。「この春出逢う人が人生を変えてしまうかもしれないという予感」のキャッチコピーにハッとして、すぐに参加を決断しました。
この経験こそ、私が地方に興味を持つようになったきっかけです。
気仙沼は港町だったので、たくさんの漁師さんと出会いました。生まれて初めて漁師さんの知り合いができた私は、ここから彼らの生き様にぐんぐんのめり込んでいきます。
そして農家、漁師が生きる一次産業の世界にフォーカスした「NIPPON TABERU TIMES」での活動に勤しむことになるのです!
初バイトは、高校3年生の冬に3ヶ月間だけ入った塾講師の仕事。個人塾だったので、一対一で小学生や中学生に主要科目を教えていました。
大学で初めて上京して、池袋の老舗焼き鳥屋で働くことに。実は、この焼き鳥屋、入学式のお祝いで両親と食べてその美味しさに感動したお店。その後日、ダメ元で電話したら、あっさりOKしてもらって働き始めたんです。それが今では5年目。当初はこんなに続くと思っていませんでしたが、今はもう社員の皆さんは私にとって家族のような存在です。