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ヒストリー

出身地

東京

幼少期の暮らし、体験

1歳から6歳まで保育園に通っていて思う存分遊んでいた。

また幼少期から鉄道が大好きでおじいちゃんと毎日のように電車に乗りに行っていた。

小学校に入学し、小三くらいから野球が好きになり野球クラブに入る。

野球部ではレギュラーだったがバッティングはとても苦手であった。

また学校生活でも徐々に先生に行動などが評価され代表委員に任命された。

担任の先生が多数決より話し合いを重視していたため話し合いの時は、毎回自分が仕切っていた。

最初はクラスをまとめることは苦手で辛かったが、経験を積んでいくうちにクラスメイトの性格などを理解しみんなの意見に賛成しながら自分の意見を言うという技を習得した。

そして小5から受験勉強し現在通っている私立中学に合格し入学した。

中学・高校時代

中学に入学、自分の代から学校が共学化になり校舎も立て直された。

この頃から勉強が苦手で特に英語は毎回追試で残されていた。

学校の基準で中3までに英検準2級を取らないと高校に進学できないので必死に英語を頑張った。

学校にネイティブの先生方が駐在していたので積極的に自分から話していくうちに英語の成績も伸びていった。

他は数学や理科の成績はとても良かった。

クラスではいわゆる陽キャでクラスのムードメーカで小学生同様中学でも周りの生徒から信頼され自治委員などを努めた。

部活では中一で野球部に入部したが部員が9人ぴったりであった。

三年生が引退したら野球部活動できなくなってしまうと思い同じ学年の野球部2人しかいなかったが必死で勧誘をした。

結論から言うと誰も入ってくれず、翌年の一年生が10人入ってくれた。

自分的には部員は少ないが個人の能力はみんなハイレベルだと思っていたので練習はさぼらないできっちりやった。

今思えば、1周200メートルのトラックを毎回練習始まる前30周させられていたのがとても印象的だ。

当時捕手を任されていた僕はそのおかげで足腰は鍛えられ、試合でも疲労しなくなった。

試合といっても中二の後半までは勝ったこともないくらい弱かった。

迎えた最後の私学戦、今までの集大成と思いながら臨んだ。結果は都ベスト8!

今まで勝ち星を経験してない自分たちは1から努力すれば結果はついてくるということを実感させられた。

引退した後、結果を残したからか新入生に人気の部活となった。

卒業式前、カナダ修学旅行があった。

英語の苦手は克服したとはいえまだ話すことができなかったが2人一組でホームステイした。

このホームステイから海外に興味を持ったのと同時に英語の必要性を感じ高校から本格的に勉強するようになった。


高校に入学後、早速学校のプログラムであるオレゴンサマーキャンプに参加した。

アメリカに2週間行きホームステイした。アメリカでは日本とのスケールの違いにとても驚いた。

また英語を使っていくうちに楽しくなってきて積極的にホストマザーなどと会話をした。

アメリカでは積極性の重要さを学んだ。

この頃、海外ボランティア活動に興味がありタイに行った。活動した村の環境が日本では考えられないほど悪かった。

村には電波が通っておらず、風呂も水しかでないのが現状であった。トイレも水洗トイレではなく溜めておいた湧き水で流すのが当たり前だ。そこで世界にはこのような生活をしている人がいるということ学んだと同時に途上国に興味を持った。

途上国に興味があっても英語が使えないと学ぶ量を少なくなると思い、フィリピン、オーストラリアにそれぞれ短期留学して高2の最初で英検2級を取得した。英語が好きになってきたところでベトナム、タイ、インドネシアに訪れた。実際に訪れて見ると日本で報道されているニュースや本で読んだ内容とは異なる現実があったりした。そんな中で国ごとに何が足りていないのか、またこれからの課題はなんなのか言うことを自分でまとめ、日本に帰国した時にNPO団体の人に共有した。現在ではベトナムの教育会議に呼ばれ、授業にどんなことを取り入れていくのかという会議に参加している。様々な海外経験を経て、自分の考えの視野が大幅に広がったこと、またコミュニケーション能力がとても高くなったことは自分でも実感した。言い忘れていたが高校でもムードメーカでみんなから信頼されている!(多分)それで今に至る。