小学校1年生までは極度の人見知りで友達が全くいなかったのですが、2年生になる前に反省し、それからは友達が多い方だったと思います。ただ、女子とは友達になれなくて、ずっと男子に混じってサッカーをして遊んでいました。
5年生になる前の春休みに広島に引越しました。広島に引っ越した直後、クラスの中で浮いてしまい、嫌がらせを一年間ずっと受け続けましたが、通学路にある家に飼われていたアヒルと何故か仲良くなり、耐えました。6年生になってクラス替えで友達に恵まれ、いい卒業を迎えられました。
性格形成の大事な時期をほとんど大阪南部で育ったので、ノリはいい方だと思います。
中学校の時の部活は、ボランティアサービス部(通称ボラ部)という珍しい部活で、部長でした。とはいっても、この部活は1週間に1回あるかないかのゆるゆるで、花の水やりや、ごみ袋づくり、地元の文化継承として、茶道をしたりというものでした。中学時代、ボラ部の部長だったのでボ部長と呼ばれることもありました。また、生徒会執行部に所属して頑張っていました。地元の公立中学校に通っており、かなり荒れていたのでものすごく苦労しましたが、あれがあったんだから今は大したことないと思えるようになったので良かったと思います。うちの中学校では1年の終わりの選挙で当選した人は、2年間やるのが通例だったのですが、数々の先生の制止を振り切り、隠居生活と称して1年間でやめました。それまで学級委員とかそういう先生方の犬というか、クラスのリーダー役を好きでやってたんですが、突然そういう人生って楽しくないなと気づいてしまったからですね。
高校受験は広大付属高校と基町高校に合格し、普通は広大付属に行くはずなのに、わざわざ蹴って基町高校に進学しました。理由は楽しそうだったからです。部活はゆるゆるのESS部に入っていました。文化祭で英語劇をやってたくさん笑いが取れたのはいい思い出です。「ロミオとジュリエット」をやってティボルトという暴れん坊の男を演じたのですが、ESS部では毎年全英連主催のスピーチコンテストに応募しており、1、2年の時に参加しました。1年生の時は県大会の本戦に出場して最下位を奪取して終わりました。テーマは「英語を話して外国人観光客を積極的にもてなそう」という何も面白みのないものでした。審査員の人に自分のスピーチの何が悪かったか聞く機会があり、バッサリ内容が悪いと言われましたね。2年生の時は「火星に行くことは本当にいいことなのか?」というテーマで全国大会まで行くことができました。私の将来の夢とは真っ向から相反することを語りました。高校時代はほとんどを勉強に捧げましたが、見事26点も足りずに不合格となりました。
その後、駿台にて1年間浪人生活を送り、無事合格して今に至ります。
クラスメイトはすごい人ばかりでいつも刺激をもらっています。コロナの影響で、サークルやバイトを始めるタイミングを見失っていたり、大学構内にほとんど行ったことがなかったりと、普通の大学生活を楽しめている感じはしませんが、4月からオンラインで授業が受けられたり、多くの論文が読めたりと、環境面では恵まれているなと思います。