■就学前・山形県酒田市出身の父と、鹿児島県屋久島出身の母の間に、第一子として生まれる。3歳下の妹との2人兄妹。
・3歳のころから小児喘息に。季節の変わり目には決まって発作が起こって、夜中に病院んにいくこともしばしば。両親にはだいぶ苦労をかけたと思う。
・近所に、同世代の友達がたくさんいたので、鬼ごっこ、かくれんぼ、ボール遊びなどして毎日暗くなるまで外で遊んでいた。
・保育園、幼稚園では、先生のいうことを聞かずに、部屋を飛び出して一人でどこかへ行ってしまう問題児。保護者面談の際に担任の先生から、「責任をもってあずかれない」と言われたらしい。
■小学校時代地元の小学校は全校児童1200名のマンモス校。2年ごとにクラス替えが行われた。
(1)1、2年幼稚園時代の延長で、先生の言うことを聞かない問題児の部類に属していた。小児ぜんそくで学校を休みがちなこともあり、成績もいまいち。取り立てて得意なこともなく、目立った存在ではなかったように思うが、そのことに悩んでいたわけでもなく、純粋に楽しく毎日を過ごしていた。
(2)3、4年3年でクラス替え。先生やクラスメイトが変わっても状況は変わらず。転機は4年生の時から学習塾に通い始めたこと。勉強がわかるようになって、成績が上がり、学校が楽しくなった。また、クラス委員を任されたり、児童会等にも立候補するなど、自己イメージが大きく変わった。4年生の1月、クラス対抗の長縄大会ではチームのキャプテンを務めて優勝。
(3)5、6年5年でクラス替え。5年、6年の時の担任の先生は、小中高で出会った先生の中で、最も大きな影響を受けた、出会って心からよかったと思う人。自分の足で人生を歩くきっかけをくれた。学校で教わる学科よりも、人として生きていくうえでの大切なことを体当たりで教えてくれた。
参考記事 →
https://pando.life/reroad/article/66276 忘れえぬ恩師の言葉と、厳しくもあたたかな眼差し(8/27追記)
金内 崇幸
「失敗」から学ぶ リモート・アカデミー RE:ROAD
5年の時に父が大腸ガンで入院するも手術して回復。中学受験をして私立の進学校に合格する。父の余命が幾ばくも無い中、私を私立の中学校に行かせるかどうか悩む母に、クラス担任の先生が「金内は良いものを持っている。絶対に行かせたほうがいい、もし経済的な難しくなったら私も応援するから」と言ってくれていたことを、数年後に母から聞く。