忘れえぬ恩師の言葉と、厳しくもあたたかな眼差し(8/27追記)

私は小学校から高校までの12年間に、8人の先生に担任を受け持っていただきました。その中で、特に思い出深い先生が1人います。小学校5、6年の時に担任だったM先生です。

その先生は、それまで私が抱いていた小学校の先生のイメージを覆した、強いインパクトを持った思い出深い方でした。細身で背が高く、長髪で口ひげと顎ひげをふさふさとたくわえ、さらに丸い眼鏡をかけていて、一目見たら絶対に忘れない顔でした。また、私物のギターやキーボードで面白い替え歌を歌ってくれたり、休み時間に男子児童と一緒に、メガホンをバットにしてピンポン球を打つ、“ピンポン野球”に興じたり、少年のような遊び心を持った先生でした。

そして何より印象的だったのは、
「次の時代の社会を支えるのは君たちだ。だからきちんと自分の足で、向上心を持って自分の人生を歩こう。そして、人のため、社会のためになる生き方を目指そう。」
という、体当たりで私たちに伝えてくれた先生のメッセージでした。

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先生が着任して間もない4月初旬に、こんな出来事がありました。午後の始業を告げるチャイムが鳴り、先生が教室のドアを開けました。いつもと同じように5時限目の授業が始まると思っていたら、なんと先生は、右手に持ったバケツを思いっきり振り上げ、中に入っていた水を教室一杯にまき散らしました。昼食後の掃除の時間に使ったバケツが廊下に出しっぱなしだったのです。

「誰かがやるなんて思うな。その誰かに自分がなれ。」
「周りを見て、何をすべきか気づいて行動できる人間になれ。」


いま、学校の先生がこんなことをやったら、一発で大問題になってしまうところですが、当時はまだこういう指導が通用していた時代でした。先生の言葉を聞きながら、床を雑巾で拭いたことを覚えています。

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また、秋の市内新聞展覧会に向けて私も含めたクラスの有志で新聞を制作していた時にも、こんなことがありました。

校内の図書室で借りてきた新聞に関する本を手に、皆で掲載する内容やレイアウト、見出しをどうするかなど、毎日のように放課後に残って話し合って、制作を進めていきました。1ヶ月かけて出来上がった新聞を、M先生のところに持って行くと、しばらく眺めた後に、ビリビリと新聞を破り捨ててこう言いました。

「この程度の新聞ならわざわざ展覧会に出す必要はない。出品したかったらもっといい物を作って持ってこい!」

〆切まで一週間しかありませんでした。私たちは、どうやったら先生が納得してくれるのか、改善点を話し合った上で翌々日、もう一度持って行きました。

しかし今度も
「おまえらやる気あるのか!」
という一喝とともにゴミ箱へ。〆切日のことを考えると、もうチャンスは一回しかありませんでした。

2日後、三度目の正直の思いで、作品を先生のところへ持って行くと、
「もう出さなくていい。」
と冷たく言われ、突き返されてしまいました。

さすがに意気消沈し、諦めの雰囲気になってしまいました。しかしメンバーの一人が言った「ここまでがんばってきたのだから、最後までがんばってみようよ!」という言葉で、気持ちを立て直すことができ、四度目の制作に着手しました。

出来上がったのは〆切当日、「今度こそ」という思いで、先生のところへ持っていくと、先生は無言で受け取ってくれました。

1ヶ月後に発表された結果は市内3位。その時、初めて先生は「良くやったな」と笑顔で褒めてくれました。

このようなM先生の指導に、始めはとまどいや反感を覚えていた私たちでしたが、徐々に先生の私たちへの深い思いに気づき始め、いつしかクラスの全員が「M先生で良かった」と心を開くようになっていました。

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6年の冬、私は中学受験をして私立の進学校に合格したのですが、その進学にあたってもM先生は密かに私の人生の後押しをしてくれていました。

当時、父はガンが再発し余命が幾ばくもない状況でした。私や妹にはそのことを伏せていたのですが、母は私を私立の中学校に行かせるかどうか悩んでいました。

思い切って母はM先生に相談したのですが、M先生は即答で「金内は良いものを持っている。彼の未来のために、ぜひ私立に行かせてあげてください。もし経済的に難しくなったら、そのときは私も支援するから」と言ってくれたそうです。

M先生の言葉で母は覚悟を決めて、私を私立の中学校に進学させてくれたのです。このことを母から聞いたのは、中学2年の時でした。

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あれから30年近くが経ちますが、先生のメッセージは今でも私の胸に強烈に焼き付いています。父の他界、大学の進学と中退、就職、転職、結婚といった、その後の人生の折々の節目において、私を支える言葉となっています。

そして何より、目の前の人の可能性を信じて、自分にできる最大限の支援をされるM先生の生き方に感化されていたことにも、その後の自分の生き方を振り返ってみて改めて気づきます。

最後に、M先生が卒業文集に寄せてくださった詩をご紹介させていただきます。
Yuhei Katsuki
2021.08.30

こんな教育ができる先生と、これを受け止めることができる生徒・保護者、なんだか今の時代が失いつつあるものな気がしますね。とっても素敵なストーリーです。
手前みそですが、弊社は「古き良き日本を、再び」というコーポレートミッションのもと、スタッフには「おせっかいな人であろう」とメッセージしています。「おせっかい」の裏側には、他人のことにも一生懸命に関心と愛情を注ぎ、行動を起こす土台が必要です。その原点である「他人への関心」が薄れているように感じます。

Takahiro Nakashima
2021.08.29

M先生素晴らしい方ですね!
今はなかなか出来ない指導法ですが…
そのような言葉を小学生の時に先生から頂いて、その後の人生を過ごされたのは羨ましく感じました。
進学後の中学生活が気になりました!

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