1899年(明治32年)4月1日 - 熊本市出水町今に、県費で「熊本農業学校」が開校。
本科と養蚕別科を設置。
初代校長に河村九淵(札幌農学校出身)が就任。
1900年(明治33年)
4月1日 - 「熊本第一農業学校」と改称。
10月20日 - 「熊本県熊本農業学校」と改称。
1903年(明治36年)3月1日 - 球磨郡上村に球磨分校を設置。
1905年(明治38年)4月1日 - 球磨分校が分離し、熊本県球磨農業学校(現・熊本県立南稜高等学校)として独立。
1920年(大正9年)4月1日 - 農業教員養成所を附設。
1921年(大正10年)4月2日 - 農業教員養成所が独立。
1923年(大正12年)4月1日 - 学則を改正し、養蚕別科を廃止し、園芸専修科を設置。
1929年(昭和4年)4月5日 - 学則を改正し、本科を二種に分け、修業年限を第一種5年、第二種3年とする。
1931年(昭和6年)4月1日 - 第2部を設置し、対象・修業年限を中等学校卒業者・1年とする。
1937年(昭和12年)2月23日 - 校舎を改築。
1938年(昭和13年)3月31日 - 第二種を農業科と園芸科の2学科に分け、専修科を廃止。
1944年(昭和19年)2月22日 - 学則を改正し、農業土木科を設置。
1946年(昭和21年)3月31日 - 学則を改正し、第二種を廃止。
1947年(昭和22年)4月1日 - 熊本県令による学則改正で、農産製造科を新設。附設中学(南園中学校)校を設置し、旧制農業学校の2・3年生を収容。
1948年(昭和23年)
4 月1日 - 学制改革により、「熊本県立熊本農業高等学校」(現校名)に改称。
5月1日 - 定時制を設置。
1951年(昭和26年)4月 - 定時制の生徒募集を停止。
1954年(昭和29年)3月31日 - 定時制を廃止。
1955年(昭和30年)4月1日 - 城南分室・豊野分室を設置。それぞれ別科農業課程1学級とする。
1958年(昭和33年)10月17日 - 天明分室を設置。
1960年(昭和35年)3月31日 - 豊野分室を廃止。
1961年(昭和36年)4月1日
本校に園芸科を新設。それに伴い、これまで農業科300名だった定員を農業科150名・園芸科150名に変更。
城南分室に農村家庭課程(後に農村家庭科)を新設。
1963年(昭和38年)4月1日
本校に畜産科(定員150名)を新設。
城南分室の農村家庭科を生活科に改称。
1964年(昭和39年)4月1日 - 農産製造科を食品工業科に改称。
1965年(昭和40年)
3月31日 - 熊本市花園町に果樹園「柿原実習地」を開園。
6月13日 - 火災により、寄宿舎2階部分を焼失。
11月20日 - 寄宿舎の改築完了。
1969年(昭和44年)4月1日 - 果樹科を新設。
1973年(昭和48年)
1月5日 - 韓国裡里農林高等学校(現在の全北大学校)と姉妹校締結。
3月31日 - 天明分室を廃止。
1974年(昭和49年)
2月8日 - 熊本市元三町285番地(現在地)に全面移転。
3月31日 - 城南分室を廃止。(これで分室が完全に消滅する。)
4月1日 - 生活科を新設。
10月31日 - 体育館(武道館)が完成。
1976年(昭和51年)2月10日 - プールが完成。
1988年(昭和63年)4月1日 - 園芸科と果樹科を統合し、園芸・果樹科とする。農業経済科を新設。