長谷川真由
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ヒストリー

出身地

神奈川県横浜市

幼少期の暮らし、体験

自由な校風の幼稚園に入園する。
木の幹に絵を描いたり自由に物を作ったりしていた。
自分で新しい遊びを作り友達を巻き込んで遊んでいたり、チャボのお世話を欠かさず行っていた。
習い事でバレエとピアノを始める。


中学・高校時代

中学受験を行い中高一貫校の女子校に入学。
高校1年次に平和について考える授業をきっかけに、友人5名で平和研究会を設立。
平和とはどのような状態のことなのか、現在世界ではどのようなことが起きているのかを共有し、私たちに何ができるかというのを議論していた。
高校2年生から3年生にかけて、タンザニアに救急車を届けるために文化祭などを通して募金活動を行い、学生ながらも総額6万円を集め、タンザニアへ送った。

高校1年の1月から3月にかけてオーストラリアへ留学。
現地校に通いながら文化や英語を学んだ。
現地校のでアボリジナルの友人ができたことをきっかけに、少数民族との共生や文化に興味を持ち始める。
この留学をきっかけに大学では国際系の分野を学びたいと思う。

高校3年生では多様な国籍を持った学生がおり、かつ私立最高レベルの授業を受けることができる早稲田大学を志望校に決定。
指定校推薦の枠がなかったため一般受験を決意。
校風として大学を推薦枠を使って決める人が多い中で、数少ない一般受験を行う友人と切磋琢磨する。
最後まで判定はD判定であったが、諦めず毎日勉強をした。
​結果は志望校に届くことができなかったが、後悔がないほど勉強したので合格をいただいた東京女子大学へ進学を決める。

大学・専門学校時代

大学入学と同時にコロナウイルスが蔓延し、新歓や入学式が行われない状況に。
しかし高校時代から決めていた国際系へのサークル所属を諦められず、独自でSNSを使用し、国際系の学生団体であるアイセック東京大学委員会に所属。
8割が東京大学生であるという環境で、いかに自分の強みを発揮することができる場所なのかを模索。その結果人と話すことが好きというところから人事領域を、ものやことで人々の可能性を広げたいという思いから、新規事業開発領域に携わるように。
サークル内でもせめて1つの物を極めたいと思い、2年次には人事/組織開発の副統括の役職に就く。
新規事業開発では、団体のVisionから下ろして考えたイベントをリーダーとして企画立案。9名のメンバーを統括しながらイベントを作成した。9名のうち、イベント作成初心者が6名いたため、1つ1つ工数の目的とその過程を説明しわからないことがあればすぐに聞ける体制を構築。
コンテンツや集客にこだわりを持ちながら行ったところ、17ヵ国100名以上の顧客を集客し、イベント満足度も4.7/5と高い評価をもらった。

大学でしか取れない資格を取りたいと考え、サークルと授業を両立させながら日本語教員過程の資格を取れる授業を履修。
国際系で働きたいという昔の夢を少しでも実現できるように、そして留学時に自国の文化をきちんと海外の人に伝えられなかったという経験から資格勉強を始める。

職歴

株式会社テックオーシャンで5ヶ月間、テレアポ営業を行う。
その後、株式会社BELLWOLにてリサーチコンサルティング業務と、webサービスの企画運営、マーケティング、さらに採用や組織編成に関わる。