工場勤務の父と専業主婦の母の間に生まれた長男。
頭が良くて、体が弱い姉が一人の二人姉弟。
家は地方在来線の駅からバスで40分、その後歩いて20分という場所。
お墓と崖に挟まれた場所で、日々の食事も大変なくらいの貧乏家庭だった。
普段は自分勝手にふるまうものの、やりなさいと言われたことはいつまでも集中してやり続けるタイプ。
運動ではほとんど負けたことがなかったので、はじめてかけっこで勝てない相手が出来たときには、勝てない相手がいるということ自体が理解できなかった。
5歳の時にクラスのみんなの前で「好きな食べ物はなにか?」という質問に食べ物の名前が思いつかず、前夜に食べた野菜炒めが美味しかったことを思い出して「やさい!」と答えたところ先生に「プっ!うそばっかり!」とつっこまれたのが人生初のトラウマ。
小学校から仲の良かった友人から中学に入った途端に無視される。
そのことが原因で「自分に価値がなければ人はみんな離れていく」という価値観を持つ。
離れていく人がいる=自分に価値がない、と思い込んでしまい、それなら近づかなければ離れていくこともないと自己防衛をし出し、孤立していく。
友だちがどんどん少なくなり、高校では2年生の時にひきこもり始め、部屋でゲームばかりの生活を送る。(ちなみに私の経営者としての基礎基本はこのゲーム漬けの日々に培われたと思う)
小学校の頃に独立して会社を作った父が成功し始めたのもこの頃。
大学受験に全て失敗する。
受験失敗はかっこ悪いが、留学ということにしたらかっこいいのでは?という安易な考えで逃げるようにアメリカへ留学する。
そこで自分の目を見て話を真剣に聞いてくれる友人ができ、彼らのおかげで自分に自信を持てるようになる。
ものごとに対して積極的になり、同じ大学の学生に留まらず、他大学生や社会人を巻き込んでコミュニティを作り運営し始める。
自分はいつか社長になりたい、というぼんやりとした夢を持ち始めたのもこの頃だと思う。成功し自分のアメリカ留学を助けてくれた父への憧れもあったとかもしれない。
新卒で媒体系ベンチャーの営業職に就く。
8時に出社、23時半に退社で月に2回休みという勤務体系。しかも全部サービス残業。
体力的には非常にきつかったが、営業という仕事の楽しさを知ったのはこの会社のおかげ。
その後紆余曲折有って29歳の時に独立。
インターネット専門の広告代理店を起ち上げる。
この事業が大成功し、5年で年商17億円に。
同時に自分が本当にやりたいことを見失っていることに気がつく。
会社が大きくなるごとに自分の中にある幼少期からのトラウマに痛みを与えられ続ける日々が続き、人生を変える必要を切実に感じ始める。
さらに紆余曲折あり、現在は株式会社しるべ代表取締役として学生たちの活動を支援することに自分の人生を使うことを決めて充実した日々を送っています。
紆余曲折部分やその他小さい事件など割愛しましたが、隠してるわけではないので興味持ってくれた人がいればいくらでもお話します。