田中 梓美
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

東京都

幼少期の暮らし、体験

幼少時代、私は血の気が多い、多すぎる子どもでした。。。。
その有り余っているエネルギーをどう発散すればよいのか親も悩んだ末
スポーツで発散させようということになり、小学校低学年の頃は「クラッシックバレエ」を2年ほどしていました。※まだ親も女の子らしくなってほしいという思いが残っていたのだと思います。。。
ただ性格的にも合わず、すぐにやめてしまいました。
次にチャレンジしたのは「空手」と「柔道」です。※この頃には親も諦めエネルギー発散に注力しました。
この格闘技が見事に自分にはまり小学校時代ずっとこの「空手」と「柔道」で男の子を投げ飛ばしたりしていました。



中学・高校時代

東京都立志村高校
中学に入ってからも引き続き「空手」「柔道」をしていました。
高校に入ってからは、「柔道」一本に絞りました。というのも組み合うほうが性に合っていたからです。
柔道の話ばかりであれなのですが、今思えば柔道は技術だけではなくそのマインドから様々なことを学んできたように思います。
例えば、柔道は「礼」に始まり「礼」に終わります。
相手に対して敬意を表すためです。敬意を示すということは相手を尊重するということです。それは社会に出てからコミュニケーションを円滑に行う上で必要なるスキルかと思います。
また、どのスポーツでもいえることかと思いますが、「忍耐力」はかなり鍛えられます。肉体的な強さを得るためには、相当な鍛錬を何年も行う必要があります。
そのため困難や挫折を乗り越える力は培われるように思います。



大学・専門学校時代

国士館大学
大学では、教育学部倫理学を専攻していました。
当時、「思想」にものすごく興味があり、哲学者たちのその思想の背景にはどのようなことが起こっているのか、この哲学書からはどのような思想が読み解けるのかばかり考えていました。
その大学生活で今後の人生を左右することになった一番の考えはソクラテスの「無知の知」という考えです。
自分が知らないこと、理解していないことをしっかりと認識するということは、より成長するため、知識を深めるための出発点になるように思っています。

※そのころにはアルバイトなども行う必要があったので、柔道は軽く習い事程度にしていました。大学の柔道はオリンピックを目指すガチなものだったので。。。


職歴

大学を卒業後は、SEOの営業を行っていました。
なぜSEOの営業を選択したのかというと、特にそこには理由がなく、
「無形商材の営業がしたい」
→当時コミュニケーション能力が重要視されていた時代でしたので、無形のものを販売できるということはかなりヒアリング力、プレゼン能力が向上するのではと考えました。

「女性が役職にいる会社に勤めたい」
→その会社は女性社長の会社でした。どのような形で起業に至ったのか、どのようなマインドなのか人生の見本にしたいと思いました。
また努力したら努力した分評価される企業に勤めたい、男女による差がなく実力で評価される企業に勤めたいと思い入社を決めました。

二社目では、ECサイトの運用を5年、WEBマーケティング部でWEBディレクター・エディター業務を7年ほど行いました。
ECサイトは自社サイトや楽天・Yahoo!などのモールの戦略立案、キャンペーン・セール企画の提案・実施を行いました。
​WEBマーケティング部ではWordpressを使用したWEB制作で主なクライアントは整骨院などの治療院と歯科医院でした。