好奇心旺盛で、想像力がたくましい子供でした。
やりたいことや知りたいことがありすぎて、様々な習い事をしたり、学校の図書館や家にある本を片っ端から読んでいました。やりたいと思ったら即行動に移すのはこの頃から変わっていません。
高学年になると、知識を自分の中で留めておくことができず、小説を書き殴っていました。学ぶことが好きだったのと、暑いのが嫌いなのとで、クーラーのある学校に行きたい!という気持ちから、中学受験をしました。
進学校だったのでひたすら勉強に打ち込んでいました。
中学高校と両方の文化祭の劇で主役をやらせてもらったことから演じることの楽しさを知りました。また、誘われて入った放送部の最後の活動として行った、NHK全国放送コンテスト朗読部門での全国大会出場経験から、自身の声を使って表現することの楽しさも知り、大学でも演技やアナウンスがしたい!と思うようになりました。
母がデザイン系の学校出身なことと、情熱大陸でブックデザイナーについて放送されていたのを視聴し、「デザイナー」に憧れを持つものの、進学校であり大学以外の選択肢をそもそも持つことがなく、当時は絵も描けなかったので、その憧れを捨て、そのまま一般の大学に進学しました。
大学では日本語・日本文化を専攻していましたが、学びたい分野の先生方が軒並み亡くなったり、引退されたりで学べなくなり、進路に迷った末に3年次に休学を決意。
休学していたものの、所属サークルでの活動は続け、ラジオ番組や映像番組に出演したり、ニュース番組制作をしたりしていました。どれも実際に地方のテレビ番組やラジオで放送されるものです。また、休学前には、学園祭後夜祭の総合司会も務めさせていただきました。
進路に迷っていた際に、後輩の「先輩、デザインやってみませんか?」という言葉で、昔捨てた憧れを思い出し、母の「20代なんてまだまだ若いんだから、好きなことをしなさい」という言葉に後押しされ、大阪デザイナー専門学校への進学を決意しました。
大学を退学してから1年は学費を貯めるためにアルバイトに勤しんだり、絵が描けるようになりたいと思い、コツコツ絵の練習をしていました。
元々、絵もデザインもほとんど知識がないまま入学したので、毎日が新しいこととの出会いと学びで、大変なこともたくさんありますが、それ以上に自分で考えて自分でデザインすることが楽しくて仕方がないです。