<中学校時代>私が中学校時代に打ち込んだことは2つあります1つ目は卓球です
私は小学2年生から姉達の影響で卓球を習っていたので中学校でも部活は卓球部に入部しました
私が思う卓球部に入部して1番の挫折は2年生の中総体です。私は部活とは他に姉達がお世話になったコーチに夜練で他校の生徒に混ざって教えてもらっていました。その中でも女子部員は少なく、みんな私より年下の子でした。私と女子部員は一緒に練習していたのでとても仲良しでした。そして迎えた中総体当日。私の個人戦の相手はいつも練習してる女子部員の子でした。正直私が先輩なのもあって絶対勝てるとタカをくくっていました。しかし、結果は私の負け。甘く見ていた結果、敗北という変わらない事実だけが残りました。私の心の中は悔しさで炎がつきました。それから私は今まで通り部活とコーチに教えてもらう夜練に加えて、姉に指導をつけてもらう日を増やしました。部活で疲れてるのに夜は更に練習しないといけない毎日に時々負けてしまいそうになり、逃げたくなる日もありました。親に当たってしまうことも何度かありました。それでも、私は練習をやめませんでした。
その結果、中学校生活最後の中総体は団体戦3位、個人戦はベスト16という結果を残すことができました!
「辛い毎日逃げたくなってもいい、それは人間として誰もが抱いてしまう感情だから。ただそこで負けたら今までの努力全てが一瞬で消えてしまう」
私が卓球をやり続けたからこそ得たことです
2つ目は音楽です
私は歌うことが好きで、音楽の授業が大好きでした
音楽の成績だけは毎回オール5で、いつも音楽の授業になるとわくわくしながら周りより早く教室に行き、先生のピアノに合わせて歌っていました。教室に響く私の歌声とピアノの音がとても心地よくて幸せな瞬間でした。
気仙沼市では市民音楽祭という、全部の小中学校が集まって音楽を披露する行事が毎年あります。全部の中学校の中でもうちの学校は教頭先生が音楽の先生だったこともあり特に合唱に力を入れていました。私自身負けられないプライドを持って合唱練習に勤しんでいました。
文化祭の合唱コンクールでは3年生の時に私が全校合唱のソプラノパートリーダーを務めました。元々あまり人前にたつ柄じゃないのでマイクを使って全体に指示を出すのは緊張しましたし、上手く伝えられないところがあると人一倍悩んでいました。迎えた本番、前日に体調を崩してしまうというハプニングもある中で私は無事に参加し、全校合唱を成功させることができました。あの達成感は何にも変え難い素晴らしいものでした。
<高校時代>
高校生になったばかりの私には夢がありました
それはフラワーコーディネーターになることです
その夢を叶えるべく私は茶華道部という茶道と華道が選べる部活に入部をするのですが、部集会で集まった新入部員は私だけ。先輩10人に対し、私1人。母にとても心配されたのを覚えています笑
1番上にある写真は私が部活動で生けた作品です!
私は基本楽観的なので、「本当に嫌になったら辞めればいいし、とりあえずやってみる」精神で始まった部活動。3年間の中で1番大変だったことは人の名前と顔が一致しないということです。先程も言いましたが、私がいた茶華道部は茶道と華道を選べます。茶道と華道では部活をする回数も場所も違うので両方が集まるのはたまにの部集会だけでした。つまり、華道の先輩後輩は覚えられても茶道の先輩後輩が会わなすぎて覚えられないんです…。そこで私は持ち前の観察眼を武器にとにかく会えた時に茶道の人達を観察していました。名前を呼ばれている時はすかさず耳を集中させ、頭の中で顔と名前を一致させていました。おかげで全員の名前を覚えられることができました!
そのことが私の観察眼と記憶力を更にレベルアップさせてくれたと思っています