ごく普通の小学校生活を送る。1つ普通じゃないところを挙げるならば、当時よく一緒に帰っていた幼馴染たちは全員東大へ行った。やばw
硬式テニス部に所属し、6年間を通してテニスばっかりしていた。
高校では文化祭に命を懸けていた。部門長となって文化祭をつくりあげることに全てを懸けた。過労すぎて人生初めての寝坊をして先生に心配されたのもいい思い出。この経験を還元するべく、全国の文化祭実行委員が集まって会議をするイベントを運営している高校生の学生団体に携わっていた。自分の学生団体の中で行動するスキルはそこで培われたといっても過言ではなかい。懐かしいなぁ。
体育祭の実行委員にも携わり、史上初のテーマソングの作詞・作曲を行って、次年度以降もテーマソングを自作するムーブメントを作ってしまった。後輩たちすまねぇw
そんなこともあってイラレのスキルやweb制作の技術は高校時代に大体身につけることができた。高3の頃には学校の広報活動として当時校舎を建て替えるということで記念品のデザイン・制作を学校から依頼され、担当した。全校生徒に配られたということもあり、なかなかに思い出深い。
理工学部に行きたかったのだが、うっかり医学部に入学する。このうっかりによって人生は大きく変わってしまった。
大学1年の頃は部活に全てを費やした。慣れてきた2年の頃に、徐々にサークルや学生団体に力を入れ始めたが、主軸は部活であった。大学3年の頃に、大学の文化祭の副実行委員長をやったが、そこまで負担のかかるものではなかった。コロナで部活が出来なくなった3年生の2月ごろ、空いた時間で何か成し遂げられることはないかと考えていたらこのinochi WAKAZO Projectに誘われたのであった。