おじょ
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ヒストリー

出身地

東京

幼少期の暮らし、体験

東京都大田区に生まれる。生まれてから18歳の高校卒業まで、何回か区内で引っ越しをしたが、ずっと大田区で暮らしてきた。父と母が共働きでどちらも学校の教師のため、休日という概念はほぼないに等しく、いつも託児所に預けられていた記憶がある。平日も朝一番で保育園に行き、夜一番遅くまで延長保育をしたりして過ごしていた。記憶はあまりないが、4、5歳の時にオーストラリア・ブリスベンに住んでいた。多分母が英語の教師なのでそのプログラムか研修か何かで住んでいたのだと思う。しかし私は英語は話せない。その当時は日本にいた時と比べて母といる時間が多く幸せだった事を覚えている。土曜日はラグビーの試合などをみて、日曜日は教会に行くなど、一応海外っぽい生活をしていた。5歳の夏頃に日本に帰国。大田区の公立小学校に入学。当時は大きなマンションに住んでいたので、同じマンションの子や近所の子とすぐ仲良くなり、毎日遊んでいた。小3の時の担任が突然鬱になりフェードアウト。でも私含め生徒のことをいじめてくるような人だったので特に何も思わなかった。小5くらいからみんなが塾に行き始めたので、私も塾に行った。当時は受験する気はなかったが、気づいたら中学受験をする流れになっていて、受験を決めた。しかし難関校は目指してなかったので、他の受験生と比べて心に余裕があった。小5、6でクラスが一緒だった子の1人に知的障害を持った子がいた。授業中や彼が乗り気じゃない時は先生たちが対応に追われ大変そうだったが、彼の心に余裕があるときや休み時間などは、本当に彼の笑顔が素敵で、私はその笑顔が好きで、よく一緒に遊んでいた。
同じ中学に進学する人はいなかった。

中学・高校時代

玉川聖学院 2019年卒業
誰も知らない中学校。女子しかいない環境。に最初は大いに戸惑ったが、1ヶ月もしないうちに慣れた。卓球部に入部した。なんでか分からなかったが、直感で決めた。同期はぶつかることもあったけど、最終的には大切な友となった。中高はミッションスクールの女子校で、毎朝礼拝があった。パイプオルガンの伴奏で礼拝堂に入場し、讃美歌を歌い、聖書を読んで説教を聞いた。基本的に毎日朝と帰りの2回礼拝をしていたので、自然と聖書の教えやキリスト教の考え方みたいなのが体に染み込んでいた。特にクリスチャンになったわけでもなかったが、毎日お祈りをして日曜日には教会に通っていた。何かと聖書に基づけて話してくる先生たちが嫌になったことも多々あったが、このような環境で過ごすことができて本当によかったと思っている。高校2、3年では軽井沢に希望者だけで行くバイブルキャンプに参加した。最初は軽井沢のショッピングや観光など楽しいこと目当てで行ったが、聖書の時間に、自分のことを深く考えたり、友達と普段は話さないような深い話をすることができたり、とても良い時間になった。高校3年生のときのバイブルキャンプで出会った、「私の目には あなたは高価で尊い 私はあなたを愛している」(イザヤ43:4)という聖書箇所が心に響き、勝手に涙が溢れてきた。今でも大切な聖書箇所。
推薦入試で大学に入学する人が多かったため、暗記に暗記という授業ばかりでなく、キリスト教の教えにしたがって、心を育てたり国際教養や人間学など世界と自分を見つめる授業が多かった。高校三年間で学んだ人間学という授業のノートは今でも捨てられない。
高校三年生の時、行きたい大学がやっと見つかり担任に話すも大反対される。それでも…と思いできる限りの勉強を続けていたが、諦めて推薦入試を受けることにする。それを伝えると担任は大いに喜んだが、本来担任がやるはずの手続きや志望理由書などをみてもらえず人間不信になる。同時期に愛する人の突然の死があり精神崩壊に近い状態だった。一連を見かけた全然違う学年の先生が手を差し伸べてくれ、なんとか書類を完成させて、入試に挑み、合格した。それでも人間不信に陥っていたので、何か裏があると思いその先生とは心を開かなかったし、深く関わらなかった。今となっては申し訳ない。担任の嫌がらせは卒業まで続いた。学校や友達、お世話になった先生は大好きだったが、やはり担任のことは好きになれず、卒業。その担任はまだ学校にいるので会うのが怖くて卒業以来学校にはいっていない。

大学・専門学校時代

津田塾大学
大学入学に伴い、現在居住している国立市に引っ越してきた。東京に市があることを初めて知った。
中高での充実した生活や深い関わりがあった友達と大学の友達をどうしても比べてしまい、あまり色々な人とは仲良く慣れなかった。大学では知り合いぐらいの人をたくさん増やした。
教科書が半額で買えるということからSFTを知る。理念や全国の人と会えるということから、入団を決めた。一年の夏合宿で事務局には絶対何かに所属しなきゃいけないものなのかと勘違いをし、営業チームの説明会に行って、そのままチームに入った。自分が一年生の時は先輩たちがちゃんといて授業も対面だったのでうまく回っていたが、コロナが始まった頃に2年生の支部長と突如連絡が取れなくなり、さらに3年生はもう引退したからと相談をしても何も手伝ってくれなかった。尊敬をしていた人もいたのに残念だなと思う。
コロナで授業がオンラインになり、学校にも入校できなかったため、販売回収が全くできなくなる。支部もオンラインmtgなどはあまり乗り気じゃなくmtgを開いたとしても業務連絡等で終わってしまう。営業チームの方も前リーダーが突如フェードアウト。急に石橋さんたちと面談をしたりすることになり、支部のことはあまり考えないようになる。なんとか営業チームが落ち着いてきたが、SFTの活動は主に営業チームの仕事だけするようになる。といってもほとんど仕事はなく、週20件ぐらいのメール送り、週1回30分のmtgぐらい。オンラインでしか会えないことに少し抵抗を感じ、SFTと距離を置く。
今現在は営業チームも支部も盛り上げようと奮闘中。オンラインにもなれ、対面で会うことも増えてきたのでSFTが大好きになりつつある。

職歴

大田区立嶺町小学校
玉川聖学院中等部
玉川聖学院高等部