石井佐保
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ヒストリー

出身地

埼玉県

幼少期の暮らし、体験

小さい頃からめちゃくちゃよく喋る子どもでした。
母親が言うには、病院かどこかで「長くおしゃぶりをつけると発語が遅れる」と言われたのですぐに外してしまったけど、結果延々と喋る子どもが爆誕して「あと2年くらいつけとけば良かった」と思ったみたいです。

小学1年生の頃に見た大河ドラマがきっかけで歴史(当時の私の認識では歴史=日本史でした)にどハマりし、子ども向けの歴史読本なんかを暇さえあれば読みふけっていました。
この頃は特に戦国~江戸時代が好きで、戦国武将の縁戚関係を書き出してみたり江戸幕府の将軍とその御台所(妻)を覚えてみたりしてました。いま考えるとぞっとします。

小学4年生の頃に父親の転勤で仙台に引っ越します。
中学受験を控えていたので、小学5年生の冬に父親を置いて母親と妹と3人で埼玉に戻ってしまったのですが、この経験が大学進学に影響したのは言うまでもありません。

仙台で通った小学校にはクラブ活動とは別に吹奏楽団があって、ここでフルートに出会いました。
始業前も昼休みも放課後も土日も長期休みもずっと練習があってめちゃくちゃ大変だったけどめちゃくちゃ楽しかったです。
習い事のピアノも中高の部活もこんなに一生懸命にやらなかったので、この頃が一番楽器の練習をしていたと思います。

埼玉に戻ることになるときに両親から「お前は学校と塾と吹奏楽の行き来しかしてなかったから、数年したら仙台の記憶なんにもなくなってるんじゃないか」と言われ、「そんなわけないじゃん」と笑って返しましたが、結果両親の予言通りになりました(笑)

中学・高校時代

浦和明の星女子高等学校 2022年卒業
中高はカトリック系中高一貫女子校でした。
これを大学に入ってから周囲に言うと、大概「じゃあお嬢様なんだね」とか「ごきげんようって言ってそう」とか「お淑やかなイメージ」とか色々言われますが、断じてそんなことはありません。一言で言えば「珍獣動物園」です。

この学校は「浦和」とは名ばかりの僻地で、周りを用水路と畑とやたら木の多い神社に囲まれた、およそ女子中高生が好まない要素ばかり揃った変な場所にありました。
カトリック校なので聖書の授業がありますが、「イエスって親不孝すぎる!ちゃんと手に職つけろよ!」とか騒いでても怒られないくらいには自由な学校です。
高校受験もないし、学年の人数も170人くらいだし、周りにイケメンが揃う男子校とかもなかったので、珍獣たちは毎日のびのび暴れることができました。

部活はオーケストラ部でオーボエという変な楽器をやってました。
吹奏楽でもフルートでもないけど、その話は別の機会に。

勉強は苦手だったし部活に精を出していたわけでもありませんでしたが、中高はすごく楽しかったです。
中学生の頃に今も推している某有名J事務所のアイドルを好きになって、友達と休み時間中語り合ってました。女子校なので半分くらいはこの事務所のアイドルオタクです。
高校最後の2年間はコロナの影響でほとんどの行事がなくなりましたが、代わりにイマジナリー修学旅行をしてみたり、後輩に向けて学校の伝統を書き残してみたり(私の学校では新入生歓迎会でサイリウムを振る、体育祭でファンサうちわを作るなど行事ごとにクレイジーなルールがたくさんありました)その時にできることを全力で楽しんでました。

毎日学校に行くのが本当に楽しくて、最終的に皆勤でした。
高校3年生の時、クラスがA組 出席番号が2番で皆勤賞受賞者の中で1番番号が若かったので、卒業式の皆勤賞授与では「1番最初に校長から賞状を全文読まれる人」になってしまって、ちょっと恥ずかしかったのも良い思い出です。

大学・専門学校時代

東北大学
高校2年生の終わりに、私の興味のあるテーマを研究している教授がいたこととか、昔住んでいた仙台にあることとか、その他いろいろあって東北大学文学部を志望することに決めました。
高校3年生の春に、当時の担任に「東北大の文学部で日本史を勉強したい」と言ったら「奇天烈だねぇ」と返されました。ちなみにこの担任は日本史の教員だったので「そんなことお前が言うのか」と思って大笑いした記憶があります。

なんだかんだ東北大文学部から合格をいただき、晴れて入学することができました。
一人暮らしは初めてだし、誰も知らない場所に飛び込むことも同年代の男性がいる空間さえも(⁉️)6年ぶりだったわけですが、なんとか生き延びています。

Pompadourには「はじめてメイク講座」という企画の問題提起に感銘を受けて入りました。
同じ大学生が同じ疑問を抱いて、そこから企画・実行まで成し遂げていることは私にとってすごく衝撃的で、すごく輝いて見えました。
​自分でもこんな魅力的な問題解決ができるようになることが夢です。