吉岡直人
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ヒストリー

出身地

山口県山口市

幼少期の暮らし、体験

2002年10月25日生まれ。8歳上の姉が一人。親いわく出産予定日ピッタリに生まれたそうです。小さい頃は珍しいことなのかな程度で、今では言うほど珍しいことではないのでは?と思ったり。
私の生まれ育った実家は一軒家でやや急こう配な階段があるのですが、まだ二足歩行ができていなかった私はよくその階段を上っていたそうです。転落の恐れもあるので家族は階段に柵を設けたのですが、それでも私は柵を乗り越え二階に君臨していたそうです。
ちなみにこの頃のことは一切記憶になく、すべて母や姉から聞いた話です。小さい頃の私、どうやって身の丈以上の柵を越えたんでしょう。猫の遺伝子でも混ざっているんでしょうか?

小学校時代
4回引っ越し、2度転校を経験。理由はまあ、家庭の事情です。
1・2年生の頃は外で遊ぶのが大好きでした。それこそ、帰宅するも玄関にランドセルを放ってすぐに学校や友人宅に遊びに行くくらい。この頃はどちらかというとアウトドアですが、コロコロコミックを読んだりポケモンなどのアニメも見ていました。

3年生に上がるというところで一度目のお引っ越し&転校。この頃から少しずつインドアないし引きこもり気質に。姉のお下がりですがDSを与えられ、ずっとポケモンをしていました。ある程度図鑑が埋まったり殿堂入りを果たしたりすると、図鑑を見ながらポケモンの絵を描くなんてこともしてましたね。この頃は『フェアリーテイル』にハマってました。

それから4年生の夏休みに静岡に引っ越しと転校。ウェブサイトでいろいろとアニメを見るようになりました。それから『バクマン。』にハマり漫画家を目指しますが、結局やっていたのはただのお絵描きで練習や学習は一切していませんでした。姉の影響でボカロやカゲプロにハマり、見るアニメもだんだんジャンプなどの少年漫画系からラノベ系、少女漫画系へと広がっていきました。

6年生のときに友人に誘われバスケクラブに所属します。実力としては全然でしたが粘り強さのおかげで二軍のキャプテンに任命されました。おかげでスポーツの中でバスケが一番好きになりましたね。あと、当時『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』を見て斜に構えるように。これが第一次中二病だったと思います。小学校を卒業し山口へと帰りました。

中学・高校時代

宇部フロンティア大学付属香川高等学校 2021年卒業
中学校時代
地元の中学校に入学。部活は友人がいるからとソフトテニス部に所属しました。3年通して実力は下の上か中の下くらいだったと思います。後衛を担当し粘り強くどんなボールも返していたので「なんでも屋」という呼び名がつけられました。今思えば意味不明すぎますけど。

入学して最初の頃は真面目に頑張っていたのですが、学校や家庭でのトラブルで心が荒んでいました。そんなとき書店で、当時アニメが放映されていた『学戦都市アスタリスク』の小説を見つけまして、興味本位で購入しました。これが私の小説――ライトノベルの始まりです。今までロクに小説を読んだことなかったのですが、自分でも驚くほどハマりまして。すっかりラノベオタクになりましたね。部活とラノベという逃避場所を得たおかげで精神的に安定するようになりました。

明確に覚えてはないのですが、2年生頃に『小説家になろう』、いわゆるウェブ小説サイトの存在を知りました。何百冊とラノベを買い金欠気味になっていたので、無料で読めるウェブ小説は本当にありがたかったですね。まあ気に入った作品が書籍化されていたら買ってましたけど。
それから2年生も半分を過ぎると、親から進路について小言をいただくことが増えました。漫画家は無理だと言われ私は反発していましたが、内心では自分が漫画家になれないことはわかっていました、なにもしてませんから。けど、他になにを目指せばいいか、なにを目指したいのかがわからず迷走していました。

そして3年生。月10本以上のペースでラノベやなろう小説を読み耽っていた私は、自分でも書いてみたいと思うようになりました。
時は夏、私は『小説家になろう』でアカウントを作り、自作の小説(とはいえ数話程度)を投稿しました。まともに授業を受けていなかったので文法は滅茶苦茶、人称すらブレッブレで思い返しても悲惨な出来でしたが、なんとも言えない心地よさがありました。同時期にTwitterやツイキャスなどでなろうユーザーとの交友を広げていきました。
そして私に転機が訪れます。それは11月、なろうユーザーのツイキャスを視聴していたときのこと。当時、妹がたくさん登場する『シスター・プリンセス』を見た私は、同じようなものを書きたいと思いその旨をコメントしました。するとリスナーにいたなろう作家の方が読みたいと反応してくださり、私は大急ぎでそれを書き投稿しました。するとその日のうちにサイトのランキングに入ったり最終的には日間ジャンル別で9位という好成績を残しました。そのことで私は妹ヒロインという路線を確立し、ライトノベル作家になるという夢を得ました。それに伴いサボっていた授業も真面目に取り組むようになり、語彙や知識を増やすため辞書を愛読するようになりました。余談ですが、ラノベをたくさん学校に置いていたためブックオフと先生に称されました。

高校時代
専門科の生活デザイン科に所属。理由は被服について軽い興味があったこと(ラノベの影響)と2年次で漫画家の授業を受けれるからです。ラノベ作家を目指して本気で努力していたので、成績は3年間通して上位。部活はパソコン部に所属。

1年の最初からがっつり服作らされ地獄を味わいました。また夏休みにはクラスの男子が二人辞めてしまいなんと唯一の男子になってしまい極限の地獄。勉学に励みながら検定に挑戦したり、デザインのコンテストに参加しました。また宇都宮にある専門学校が主催する高校生対象の小説のコンテストに応募、1年次と2年次で受賞しました。3年次はそもそも時間がなく参加しませんでした。
1年次の冬。私は『カクヨム』というウェブ小説サイトが年末に主催するカクヨムコンテストに参加しました。受賞作はKADOKAWA系列のレーベルから出版されるのですが、残念ながら最終選考止まりでした。

2年次からは部活を中心に活動しました。検定勉強に動画制作、市で行われるイベントのスタッフおよびeスポーツのイベント運営を行いました。またエシカル甲子園の全国審査に、専攻の先輩の手助けとして参加。『小説家になろう』で新作を投稿しそれが総合日間ランキングで100位内に入りました。この年もカクヨムコンテストに参加しましたが落選。三学期は新型コロナウイルス蔓延により休校。この間でライトノベルの新人賞に応募しましたが結果は落選でした。

3年次では部活にて、宇部市100周年の記念プロジェクトに参加。宇部市にある他の高校と協力して記念動画を制作したり、地域活性化を図る企画の発案、テスト運営を行いました。学校のほうでは、卒業制作で各々の作品を作ることになりましたが、スケジュール管理に失敗し私は完成できずに終えました。

たくさん失敗を重ねさまざまなトラブルに見舞まわれましたが、貴重な経験を積みさまざまな人と交友することができ、いい3年間だったと思います。

大学・専門学校時代

福岡デザイン&テクノロジー専門学校
​さまざまな進学候補がありましたが、ライトノベル作家になるためよりシナリオやストーリー構成など詳しい内容を学ぶために小説学科のある専門学校に定める。本校を選んだのは山口から近いから。
入学して1年。振り返ってみると授業の課題や日常生活に追われ『小説家になろう』や『カクヨム』といった個人活動はほとんどできていなかった。ただ、入学前に比べ知識や技術など確実に成長しているので、残る2年も全力で走り切りたい! あとちゃんと個人活動も頑張る!