ヒストリー

出身地

東京都杉並区

幼少期の暮らし、体験

 一家の長女として生まれた私は、幼い頃からとにかく積極的で目立ちたがりだった。幼稚園では劇の中で最もセリフ量のある役、小学校では、委員会やクラブの部長、運動会の応援団や音楽会の指揮、などほとんどは自分の立候補で決まったものばかりだ。

 習い事もいろいろなことに挑戦した。特に集団塾は、近所の中高一貫校に憧れがあり小学校入学前から中学受験を視野に入れていたため丸7年同じ塾一筋で通った。中学受験直前までは塾の他に体操教室や英語塾を並行して通っていたので、学校との両立に励む中体調をよく壊したり友達との関わりが周りより少なかったと今感じる。

中学・高校時代

共立女子高等学校 2021年卒業
 中学受験を見事乗り越え、都内の中高一貫の女子校に入学した私は、幼稚園・小学校時代とは真逆の生活を送ることとなる。
 その一番の原因は対人関係だった。今までは少数の友達との関わりしかなかった自分にとって、1クラス女子40人の空間はあまりにも異質すぎた。中学3年は特に対人関係に悩み、高校は違うところに行こうかとまで考えた。そんな中で私を引き止めてくれたのは中3で知り合い今でも交流がある友人だった。今頑張れば絶対に大丈夫だと、強く励ましかけてくれたおかげで無事6年通うことができた。

 友人の引き留めのおかげで高校生活では中学生の頃より充実したと共に、再度何かに挑戦する機会に恵まれた。高校では文芸部に所属し物語の執筆に挑戦し、廃部危機の部活をなんとか盛り上げたくて高校2年で部長になったとき活動内容を大きく変更した。高校1年では文化祭のクラス有志の責任者、高校2年には部長の他にも部長会の書記や、文化祭の部活動有志の責任者、また体育行事運営委員会にも所属した。体育祭と文化祭の準備期間が重なっていたため、疲労で体調が悪くなったり怪我をしてしまったが、全て終わった時は達成感で満ち溢れていた。
 高校3年間で出会った友人は今でも交流がある人が多く自分の価値観に沢山の刺激を与えてくれた。

大学・専門学校時代

東京デザイナー学院
 順風満帆の中迎えた大学受験は、コロナ禍での進路変更や自分の生活のたるみにより大失敗に終わってしまった。高校から勉強の両立が難しく、みるみる成績が落ちてこの結果になった私は浪人を選ばず、専門学校への入学を決めた。

 しかし、入学してすぐに今までの自分のポテンシャルを無くしてしまった。私のような入学のケースは珍しく、ほとんどの生徒は高校から専門学校への入学を決めているためプレスクールである程度学校のことを知っている人ばかり。3月下旬に急遽入学を決めた私は、とにかく授業について行くことに必死だった。不器用で大雑把な自分は、大きな課題の制作時間は悩みに悩むことが多く何度も挫折した。

 そんな中励ましてくれたのが専門を決める際からお世話になった本校の先生だった。
    「自分にできないことは多くても、自分にしかできないことはある」
その言葉はマイナス思考になってた自分が立ち上がるきっかけになった。

 今では遅れずに授業についてきているものの、やはり細かい作業や手書きでのパースはどうしても苦手意識がある。 ただ以前の自分と大きく違うのは、「自分にしか作れない作品を作る」という強い意志があることだ。多くの先生に支えていただきながら、今日も課題に励んでいる。

職歴

  • 100均アルバイト(2021年6月〜)