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ヒストリー

出身地

生まれは青森の三沢市、育ちは東京と海外

幼少期の暮らし、体験

2人姉妹の長女として誕生。生まれた時に父は仕事でチェコに住んでいたので、母方の実家がある青森で生まれてからすぐにチェコに行きました。記憶は全くないです。(笑)

小さい頃から食べることが好きで、2歳の時からうどんを1人で1玉食べていました。塩辛と白子が好きだったそうです。おじさんですね。

5歳の時に父の仕事で中東のヨルダンに移住。現地のブリティッシュインターナショナルスクールに入りましたが、初めは英語が話せず毎日泣いていました。それでも数人しかいない日本人の友達に助けられたり、周りの子と遊んでいるうちに楽しい学校生活に。一番の仲良しはイタリア人のジュリアでした。彼女のお母さんの作ってくれたラザニアはまだ越されないナンバーワンの美味しさです。そのまま4年半過ごしましたが、今でもこの時のことはすぐに思い出せるくらい私の人生で濃い時間でした。

小学4年生の時に日本の小学校に転入。上履きも給食も掃除も初めてでした。中でも苦労したのは書道と箸。字が本当に汚くて最初は全部赤で直されていましたが、小学校6年の時には花丸をもらえるくらいに成長しました。箸はずっと矯正箸を使っていたので、クロスすることはもうなくなりました。先生と話す時に苦戦したのが「〜じゃないよね?」という質問。海外だとNOが「〜じゃないです。」という意味であるものの、日本だと逆です。自分にとってそれが普通だったため、中々直すのが大変でした。

中学・高校時代

中学校は小学校と一貫のところに行きました。しかし2年生の夏に父の転勤のためにヨーロッパのスロベニアという小さな国に移住することに。同級生とは4年半一緒にいて、中2というとっても楽しい時期だったため、決まった時には結構ショックでした。(笑)

スロベニアでも現地のブリティッシュインターナショナルスクールに通うことになりました。中学生となると、みんな話すのは海外セレブの話とか恋バナとか。学年に12人という小さな学校で、すでに仲良しメンバーが決まっており、転校して入った私には中々馴染みにくかったです。その中で心の支えになったのがインド人やエジプト人など、ヨーロッパ以外から来た子達。元々住んでいる外国人が少なく、スロベニア人のお金持ちの子ばかり通っていたので、みんなスロベニア語やそれに近いスラブ語で話していて、話に入れないことも多かったんですがヨーロッパ人以外の子達はいつも絶対英語で話していて、仲間に入れてくれました。

小さい学校で、父の任期が終了するのが高校3年生の頃と予測したため、大学への進学に迷い、内部生として大学に行けるアメリカの慶應義塾ニューヨーク学院へ、中学3年生の時に入学しました。フレンドリーなルームメイトと一緒に3年間過ごしました。この学校が私が人生で唯一入学から卒業までいられた学校です。寮生活であったため、ほぼみんな家族のような、とても濃い関係性になりました。今でもなんでも言えて、くだらないことでばか笑いできる仲です。

大学・専門学校時代

高校を卒業して、慶應義塾大学法学部へ入学。大学に入ったらしたいことが2つありました。自分で行った事のない国へ行くことと、自分の国で外国人におもてなしすること。そのために学生団体S.A.L.と国際関係会という2つのサークルに入部。

最初の目標は1年生の春に達成しました。星空と海が今までで一番綺麗だと先輩に聞き、それが見たいがために東ティモールという小さな国に行くことを決意。S.A.L.というサークルで東ティモールへのスタディーツアーをリーダーとして企画しました。困ったのが何と言っても情報がないこと、発展途上国のため、現地に行った日本人の方もほとんどいません。しかし、そのため、行ったことがある人同士の繋がりが強かったのが利点でした。先輩から大使館の方、現地の学生、東ティモールに関する団体やイベントを運営する方々や外務省の方など、様々な方にお会いし、連絡を取り、助けていただけました。現地に到着すると、大使館への訪問、学生との交流、小学校や孤児院への訪問など、たくさんの経験ができ、幸運にも、前大統領でノーベル平和賞を受賞されたラモス・ホルタ氏にインタビューすることができました。間違いなく綺麗な星空と海以上に有意義な渡航でした。

次の目標は2年生の時、国際関係会というサークルで、International Week(IW)とAIMという2つのプロジェクトを運営することで達成できました。IWは世界各国で運営する大学が決まっており、慶應大学の国際関係会がIWTOKYOを運営しています。海外の学生選考、プロジェクトの内容などをみんなで決め、本番中には担当の学生のCP(お世話係)をし、ホストファミリーの方にも大変お世話になりました。英語担当という立ち位置であったため、何より海外の学生と運営メンバー間での認識が一致するように心がけました。特にCPをしていた学生とは常に話すし、相手も自分を頼ってくれるため、なるべく要望に応えられるようにしました。なので最後のお別れは本当に寂しかったし、泣いてくれました。私も彼女が大好きです、今度会う時には彼女の国を案内してもらうと約束しました。

もう1つのプロジェクト、AIMはインドネシア大学の学生を日本に招いて、観光をしたり、会社を訪問してディスカッションなどをするものです。1年生の時に関わったインドネシア人の子が優しい子ばかりで、運営メンバーになりました。インドネシアの子はヨーロッパの子よりも穏やかな感じですね、なんとなく日本人と似たものを感じます。そんなこともあって、すぐに仲良くなれました。最後にカラオケで"Tokyo Drift"を熱唱したのはいい思い出です。またみんなに会って一緒にナシゴレン食べたいです。

職歴

PR TIMESという会社で1年生の3月からインターンをしています。女子大生をターゲットとしたisutaというサイトのライターです。コスメが好きなことから友達に紹介してもらって、面接を受けました。今ではこの時間が私の生活の多くを占めていて、記事を書くのは一度も苦に感じたことはないくらい楽しいです。このインターン先での先輩や社員さん、同世代の子達はみんなそれぞれ違って面白いし、とても尊敬しています。中でも自分のやりたい事を実現して、自身のブランドを立ち上げた先輩には尊敬しかありません。本当にかっこいい。私も自分のやりたい事を見つけて、夢を見つけたいと思っています。