幼少期時代から活発な子供で父は転勤族だったこともありよく母親には苦労をかけていました。
幼稚園からサッカークラブに入り、時間がある時は地元の友達と近所の公園でサッカーや当時流行ったゲーム等をして遊んでいました。
一番の思い出は幼稚園の園長先生が変わり者でサッカーチームに入っている人はイタリア語で卒園式で、将来はイタリアのローマというサッカーのクラブチームに入団すると強制で言わされたことです。
中学生くらいからは先輩達や親が服飾の仕事をしていたこともありファッションや音楽に興味を持ち始め、
当時流行だった雑誌を見つけてはよく立ち読みをして気づいたら2時間近く本屋に居たこともありました。
高校時代からはアルバイトを始めてよく社員の方から厳しく指導されていた思い出があります。
勉強にはあまり興味が持てなく自分の好きな物を追求するのにお金や時間を掛けていました。
職歴と言えるのは本当に今の翔栄くらいしかなく、高校を卒業してから翔栄に入社するまでは遊びながら生活していました。