岩松晴
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

大阪府泉南郡岬町

幼少期の暮らし、体験

当時は熊取町と言う田舎の町の奥まった住宅街で暮らしていました。
三兄妹の長男で、下に双子の妹がいます。喧嘩こそたまにしますが、基本的に仲の良い兄妹です。

幼少の時分は活発で好奇心旺盛な性格で、知らないことを見つけては父親に質問し
倒していました。
近所の人たちにも可愛がってもらい、恵まれた環境でのびのび育ててもらったと自分でも思います。

基本的に両親とも共働きで、保育園を卒園するまでは祖父母の家で晩御飯を食べたり寝泊まりをすることも多々ありました。
この頃は叔父が実家にまだいて、よくゲームをさせてもらった覚えがあります。

小学校に入学してからは学童保育に預けられることになり、そこで様々な交友関係を築きました。
あの頃はお腹が弱くて胃腸炎に罹ったり、そうでなくてもしょっちゅう嘔吐を繰り返していましたが、今にして思えば手もろくに洗わない子供が数十人も一つの場所に集まっていれば、体調を崩すのも自明の理ではあります。

小学校高学年の時に父が精神を病んでしまい、家庭でのゴタゴタが増え、両親が離婚しました。
それに伴い、母方の実家の方に引っ越すことになってしまい、悲しみに暮れていたのを覚えています。

中学・高校時代

中学に進学するに当たって、人間関係がリセットされてしまいました。
入学式の時は憂鬱で仕方なく、終わったときは完全に以前の町から切り離されたと、絶望すらしていました。
ですが、中学生までは基本的に楽観的な人間だったので、一晩寝ればだいたい悲しみや怒りの感情は消える単細胞でした。

当時は陽気な性格をしていたので、入学から半年ほどでいじられ役兼ツッコミ担当のポジションを獲得しました。
3年間で一度でも一緒のクラスになったのであれば、仲良くない人はいないなどと豪語する程度には友人たちとの交流を盛んに行っていました。
2年生から学習塾にも通い出し、そこでも友だちを作り。
先輩後輩、部活、学内外を問わずに友人を作る、ハイパーフレンドリー人間でした。

今のところ、ここが人生の絶頂ではあったと思います。

高校に進学し、アトピー性皮膚炎を発症してから、人前に出るのが難しくなりました。知り合いと顔を合わせたくないため、友だちとの連絡も激減し、外出も減りました。一年で当時通っていた高校をやめ、通信制の学校に切り替えました。

ここから人の目が極端に気になってしまうようになった気がします。
その末に、上っ面は陽気な内心は神経質な性格の男になってしまいました。

高校2年の夏頃に今通っている病院に出会い、寛解とまではいかなくとも、症状がかなり軽減されました。

そこでかなり時間が空いたためアルバイトに時間を費やすようになりました。
控えめに言って金遣いは荒くて、パーッと稼いでパーッと使い切っていました。

今思えば、このモラトリアムとも言える時期にもう少し色々やっておけばよかったと思っています。