脇田 鈴水
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

大阪府

幼少期の暮らし、体験

物心ついた頃からチラシの裏やコピー用紙に絵を描いて過ごしました。
幼稚園の絵を描く時間や工作をする時間はとても楽しく、先生によく褒められていた記憶があります。スケッチブックをほったらかして別の遊びに夢中になっていたらクレパスとスケッチブックを持った先生が怒っていた記憶があります。

小学校に上がってもまたずっと家でも学校でも自由帳を持ち歩きあまり人に見せることもなくむしろ隠しながら絵を描いていたと思います。
それでも図工の時間や風景や静物を描く授業では真剣に楽しく取り組んでいました。そのお陰か季節毎にある校内コンクールで入賞したりして家族がよく褒めてくれました。

中学年頃になるとパソコンを触らせてもらいだんだんインターネットに触れていくようになりました。それから今現在までパソコンやネットは私の友達です。

高学年くらいから音楽やバンド、ゲームなど他の趣味にも没頭したこともありさらに表現する幅が広がったように思えます。

中学・高校時代

大阪府立堺西高等学校 2021年卒業
↑高校展で賞をいただいた作品「ラヴ」

中学に上がり本格的に絵が上手くなりたい!と考えるようになり、PixivやTwitterなどのSNSをたくさん使い色々なものに触れ、たくさんの刺激を受けさらに表現の幅は広がりました。逆に他の人の作品を見ることで落ち込むようなことも増えてしまったのはありますが、今も変わらずすべての人へのライバル心のようなものを燃やしながら前に進んでいます。中学二年生の頃からスマートフォンを買ってもらい、少しずつ自分の描いたイラストをアップロードしてみたりしてオリジナルのものや二次創作、ファンアートそれぞれほんの少しのリアクションをもらえたことが嬉しくてイラストを描いてはTwitterにアップロードしてリアクションをもらい喜びました。受験期は勉強はしたくないことからの現実逃避でなのかとにかくたくさん絵を描いていました。この間に短い期間でたくさんのイラストを描いたりみたりすることで描く力も見る力も急成長できたように思えます。

高校は1年生から美術コースのある学校へ進学を決め無事合格、中学では幽霊部員というかほぼ退部をしていた美術部に再度入ることもしました。中学の美術部では何枚かデッサンを経験し、よく褒められました。1年の夏休みには一枚のイラストを水彩絵の具で描き、展示会で展示がされました。ですがそれよりもかえって一人で絵を描くことの方に集中してしまい、部活に参加することはなくなってしまいました。そういう中途半端な気持ちを改めるためにもう一度美術部に入部してみようと思いました。
高校では高校展、芸文祭という大きめの展覧会に応募してたくさんのライバルたちと競うという対抗心がとても熱く芽生え、かなり努力して作品制作をしていたように思います。
一年でいきなり扱ったことのない油絵、B2くらいの当時は見たことのない大きさのキャンバスでの作品制作に若干戸惑いましたが新しいことに挑戦することの楽しさ、油絵の楽しさに気づけた良い機会でした。個人的にはアクリル絵の具を使った大きな一枚絵の制作よりも油絵をしている方が楽しさはあったのですが、1年2年共に展覧会で油絵での入選はできませんでしたが、2年の高校展に向けて制作をしたアクリル絵の具での作品は奨励賞をいただきました。もちろん優秀賞が欲しかったのですが、自分でもそこまでの自信を持てる作品ではなかったので奨励賞をいただけただけでとても嬉しかったです。