この社会には問題がたくさんあって、
解決していけば誰かが喜んでくれて、
そうやって社会は幸せになるんだと思ってた。
本当は違う。社会は変わらないし、人を助けるってそんな簡単なことじゃない。
私が見えてるのは社会の一部、私主体のセカイしかどう頑張ったって見えないの。
だから、自分のセカイで不幸せに感じるのならば、それは私が不幸だからだ。
不幸ならなお一層不幸なニュースが目につくものだ。
人生なんてそんなもん。アホみたいだけど、私は運とか気とか波長を信じてる。
幸運な時は幸運がやってくる。そんなもんじゃない?
まあ、私がいくらほざいたところで、勿論世界では今この瞬間いろんな事が起きている。悲しいニュースは尽きない。
気をつけたいのは、起きてるけど、現場が本当に不幸かどうかなんて、なかなか私が判断できるものじゃない。ああ不幸な社会だな、とか言っちゃダメなんですよ、知りもしないで。
だから、不幸な世界が見えているなら
このセカイで幸せになりたいのは私。
だったら自分の人生を生きて、幸せに気づけばいいのに、、なのになんで自分の幸せのために頑張らないんだろう…
なぜなら、
私は自分のためになんてとても頑張れないのだ。
誰かのために頑張ることが生きがい。
しかもその生きがいによって「幸せになろう」とする。
あくまで「幸せになる」んじゃなくて、「幸せになろうとする」をするのだ。過程を楽しんでるって感じ。
私は向上心を持ち続ける限り幸せになれないし、偽善の範囲を抜けられないし、誰か不幸に見える人を見下して助けてあげなきゃ、の精神を持たなくては生きていけないようです。走り続けていなくちゃいけないんです。
私はこの活動を通して、いいことも悪いこともたくさん学びました。思い出すと、胸がまだズキズキしていて、完璧に消化できてないくらいには、私の中で大きな存在になっちゃってます。ああまだ苦しい。
まあ、それらをこの時期に学べたことだけはいいこと。
楽しかった、けど、ずっとずっと辛かったな。そのくせ、胸を張ってやり切ったとはどうしたって言えない。悔しい。やるせなくていらいらしちゃう。
もうじきに私は卒業、早かった。
これからはPlusを思い出すことは少なくなるだろう。
今を生きることにさらに精一杯な日々が待っていることだと思う。
ただそんな私に忘れないで欲しい。
私の人生は幸せになるために存在していて、
私には幸せになる価値がある人間だということだ。
私が学生生活を通して学んだことは、これなのだ。
資本主義社会に出てカオナシに喰われる覚悟をした2週間前。
やっぱり怖くてたまらないいま…
流されるように染まる半年後の私を想像する。
もうこんな経験はできないだろうとぼんやり思う。
青春の淵から飛び降りなくちゃいけないのだ。
私もオトナにきっと染まっていくんだろう。
息をつくままなく、流されてたとしても、心のどこかにこの思いを残しておいて欲しい。
本気で世界を笑顔にしたいって思った。
大学デビューで途上国に行って何者かになった気持ちでいたコロナ前。何もできなくて悔しかったこと。本当は誰よりも幸せになりたかったこと。気がつかなくて、やみくもにもがいたこと。大切なものを失ったこと。本当ははなから空っぽだったこと。
の、結果、幸せを追求していいと気づいた。
それだけわかってれば多分生きていける。
辛くなっても幸せになろうと戻って来れる気がする。
幸せをとる人生選択できるはず。
空っぽな私はそうやって将来の自分に託す。
でも一旦はそれでいいと思ってしまう。
大丈夫、きっといつかは幸せなセカイを作ることもできる。
自分を満たすことができる生き方をいつか取ろう。
今はそこから遠ざかろうとしている、ように感じる。でも、
永遠に延期しないっていま約束したんだからね、
ちゃんと幸せになろうね。
どんな日でも、どんな所にいても、誰と居ても、
あなたに幸せになる権利があることは忘れないで、絶対。
丁度今パワーある後輩ちゃんたちは大海原で頭を殴られているであろう頃。
彼らにとってもPlusになるものであって欲しいな、
と偉そうに思うなどしています。
またいつか運命が引き合わせるまで。
あなたに幸あれ。
以上物書きオタクの戯言でした。
p.s.
やっぱり私はオトナになったとて、先もトキメキも諦めないし、いつだって幸せを追求するよ。ずっとずっと。
負けてたまるか、しぶとく息してやるぜの精神です。
解決していけば誰かが喜んでくれて、
そうやって社会は幸せになるんだと思ってた。
本当は違う。社会は変わらないし、人を助けるってそんな簡単なことじゃない。
私が見えてるのは社会の一部、私主体のセカイしかどう頑張ったって見えないの。
だから、自分のセカイで不幸せに感じるのならば、それは私が不幸だからだ。
不幸ならなお一層不幸なニュースが目につくものだ。
人生なんてそんなもん。アホみたいだけど、私は運とか気とか波長を信じてる。
幸運な時は幸運がやってくる。そんなもんじゃない?
まあ、私がいくらほざいたところで、勿論世界では今この瞬間いろんな事が起きている。悲しいニュースは尽きない。
気をつけたいのは、起きてるけど、現場が本当に不幸かどうかなんて、なかなか私が判断できるものじゃない。ああ不幸な社会だな、とか言っちゃダメなんですよ、知りもしないで。
だから、不幸な世界が見えているなら
このセカイで幸せになりたいのは私。
だったら自分の人生を生きて、幸せに気づけばいいのに、、なのになんで自分の幸せのために頑張らないんだろう…
なぜなら、
私は自分のためになんてとても頑張れないのだ。
誰かのために頑張ることが生きがい。
しかもその生きがいによって「幸せになろう」とする。
あくまで「幸せになる」んじゃなくて、「幸せになろうとする」をするのだ。過程を楽しんでるって感じ。
私は向上心を持ち続ける限り幸せになれないし、偽善の範囲を抜けられないし、誰か不幸に見える人を見下して助けてあげなきゃ、の精神を持たなくては生きていけないようです。走り続けていなくちゃいけないんです。
私はこの活動を通して、いいことも悪いこともたくさん学びました。思い出すと、胸がまだズキズキしていて、完璧に消化できてないくらいには、私の中で大きな存在になっちゃってます。ああまだ苦しい。
まあ、それらをこの時期に学べたことだけはいいこと。
楽しかった、けど、ずっとずっと辛かったな。そのくせ、胸を張ってやり切ったとはどうしたって言えない。悔しい。やるせなくていらいらしちゃう。
もうじきに私は卒業、早かった。
これからはPlusを思い出すことは少なくなるだろう。
今を生きることにさらに精一杯な日々が待っていることだと思う。
ただそんな私に忘れないで欲しい。
私の人生は幸せになるために存在していて、
私には幸せになる価値がある人間だということだ。
私が学生生活を通して学んだことは、これなのだ。
資本主義社会に出てカオナシに喰われる覚悟をした2週間前。
やっぱり怖くてたまらないいま…
流されるように染まる半年後の私を想像する。
もうこんな経験はできないだろうとぼんやり思う。
青春の淵から飛び降りなくちゃいけないのだ。
私もオトナにきっと染まっていくんだろう。
息をつくままなく、流されてたとしても、心のどこかにこの思いを残しておいて欲しい。
本気で世界を笑顔にしたいって思った。
大学デビューで途上国に行って何者かになった気持ちでいたコロナ前。何もできなくて悔しかったこと。本当は誰よりも幸せになりたかったこと。気がつかなくて、やみくもにもがいたこと。大切なものを失ったこと。本当ははなから空っぽだったこと。
の、結果、幸せを追求していいと気づいた。
それだけわかってれば多分生きていける。
辛くなっても幸せになろうと戻って来れる気がする。
幸せをとる人生選択できるはず。
空っぽな私はそうやって将来の自分に託す。
でも一旦はそれでいいと思ってしまう。
大丈夫、きっといつかは幸せなセカイを作ることもできる。
自分を満たすことができる生き方をいつか取ろう。
今はそこから遠ざかろうとしている、ように感じる。でも、
永遠に延期しないっていま約束したんだからね、
ちゃんと幸せになろうね。
どんな日でも、どんな所にいても、誰と居ても、
あなたに幸せになる権利があることは忘れないで、絶対。
丁度今パワーある後輩ちゃんたちは大海原で頭を殴られているであろう頃。
彼らにとってもPlusになるものであって欲しいな、
と偉そうに思うなどしています。
またいつか運命が引き合わせるまで。
あなたに幸あれ。
以上物書きオタクの戯言でした。
p.s.
やっぱり私はオトナになったとて、先もトキメキも諦めないし、いつだって幸せを追求するよ。ずっとずっと。
負けてたまるか、しぶとく息してやるぜの精神です。