【継続は力なり】
皆さんは何で、継続したら力になると思いますか?先人達は継続はとてつもない力を発揮すると信じてきました。
そして僕も、今はそう強く信じています。
僕は、友達や親に聞いてまわりました。
「どうして継続は力になるの?」
毎回同じような答えが返ってきました。
「継続する事によって地道に力をつけて結果を出すから」
「結果が出るまで継続し、諦めるという選択を消せるからだ」
「シンプルに練習が継続的にできるからうまくなる」
僕は違う質問をしました、
「じゃあなんで、結果が出ない人がいるの?」
「一緒の部活動で毎日一緒のメニューをしてるのに、なんで試合に出れる人とベンチに行く人がいるの?」
「なんで出世する人としない人がいるの?」
そしたらこう答えました。
「センスがなかったんじゃない?」
「向いてなかったんじゃない?」
「やる気の違いでしょ」
僕は一部納得はしましたが、継続の本質はこの次元では説明がつかないと理解しました。
僕は、物事は全て意味づけが出来ると思っています。 つまり、偶然ではなくて全て必然だと言いたいんです。
先天的なモノを除き、
出世する人としない人、運がいい人と悪い人、頭がいい人と悪い人、太ってる人と痩せてる人、健康な人と身体が弱い人…。
全て偶然ではなくて、必然だと僕は言いたいです。
では何故、ここまで違いがでるのか。
同じ高校3年生なのに、結果を出してる人とそうでない人、東大に受かった人もいれば、そこらへんの大学に行った人
何がそこまで差を生むのか、僕は0から探しました。
そこでたどり着いた答えが、
【無意識の力】です。
僕は、「継続は力なり」を同じ意味で言い換えるとするならば、「無意識は力なり」と言います。
継続的に繰り返し行い、無意識の領域に入れる事こそが、
継続は力なりの本質だと思いました。
無意識の力自体は、そこまで大きな力を持っていません。
ただ、無意識というは繰り返すという役割を持っています
例えば
幼い頃から礼儀やマナーに厳しい家庭で育つと、その子は無意識に礼儀やマナーを守り、生きていく事になるでしょう。
そしてそれは継続的に行われます。
大雑把な例ですが
小学生の時に礼儀やマナーを無意識の領域に入れる事が出来たとすれば、お泊まりの時などに、その力は発揮され、
「貴方の子どもさんは礼儀正しくて良い子ですね!」
「また泊まりにきて下さい!」
など、実際に僕が体験した話ですが、それだけで信用を獲得できたり、礼儀が正しくな人よりかは確実に優遇を受けます
無意識とは小さな力ですが、良い方向に働けば、それだけ良い結果が出て、良くないモノが無意識の領域に入っているのであれば、良くない結果が続きます。
多くの人は「継続」に対してちょっとした感覚のズレを持ってます。
何かをやる時に、その言葉は使われると思っている人が多いです。受験勉強、部活動、その他の何かを成し遂げたい時
でも、継続の力というのは、生まれた瞬間から作られ、発揮される物なのです。
つまり、そのほんのちょっとした細かい無意識の違いが、同じ時間を生きていても違いを生むのです。
サッカーで言えば、
メッシやロナウジーニョはたまたま世界一のプレイヤーに輝いたのでしょうか?同じ練習メニューを同じ年数すれば、メッシのように世界一恐れられるプレイヤーになる事は出来ますか?
結局、何をやってもダメな人は、無意識の領域の話だから、改善してもまた直ぐに戻るんです。すぐまたダメな結果になるんです、意識出来ない次元の話だから、その事に気付きもしないんです。
逆に何でもプラスに捉える事が出来る人は、毎日が楽しそうだし幸せだと思います。
捉え方一つで、生死を分ける事態になりかねないんです
それだから、みんな上手くいかないんです。
ダメだと思い込むんです。
結果が出ないんです。
表上のミスをいくら工夫して改善しても、またそのミスを繰り返す。
だって、無意識に良くない考え方をし、良くない捉え方をしているから。
人は寝たら無意識になる。
寝言を言いたくて言ってる奴なんていない
イビキをかきたくてかいてる人なんていない
イビキをかくひとは、鼻呼吸の人よりも、ウイルスや菌が体内に入る確率も高くなる、その小さな無意識が1日を台無しにする事もありえる。
だって継続的に行われるから。
皆んなは「継続は力なり」という言葉の凄さを身をもって理解しているはずだ。
ただそれが良い方向に働くのか、悪い方向に働くかは君の無意識が全て決めている。
結論
「継続は力なり=「無意識は力なり」