こうしてわたしは居場所をみつけた

わたしは、従来所属していたメディアでは書けない文章を磨いていきたかった。文章には人柄が表れると言うけれど、以前の私はやはり少し無理をしていたのではと時々感じることがある。数値や目的などの一切の利潤から離れたところに自分の文章の居場所が常に欲しかったのだ。

ストレートに出てくる言葉を加工しすぎたくない、というのが本音だった。そんな私の目に飛び込んできたのはどうみても無視できないツイートだった。


「noteの波に乗り遅れた!って方、もしくはそういうサービスを使うのはちょっと違うんだよなぁって方」


今思えば彼のツイートはなんとも、誰にとっても魅力的な誘いではなかったか。

メンバーの中の誰だってきっとあの時は、新しい自分になりたくて、けれど既存のプラットフォームには自分を売りたくなかったのだ。


なによりも1番わたしがそうだった。(いまはその良さがわかり開き直って、noteの執筆もしているが。)そのタイミングを逃したら、わたしは今ごろ燻っていたに違いない。


誰にも迷惑をかけなければ何をしてもいい、という歪んだ自由でなく、自分なりの言葉と体験を発信し、自分なりにあがいてみる。そんな小学生時代におきざりにした自由研究のような居場所をくれたその彼や、それを支えるエディターには、感謝してもしきれない。