はじめまして「まぐろ」です。
出身は広島県広島市。ショッピングと1人旅、温泉巡りが趣味の大学生です。現在は、山梨県都留市の学生カフェ「cafe sowers」の共同経営者でもあります。
初めて会った人には必ず、
「どうしてまぐろちゃんなの?」
と聞かれます。
まあそりゃそうだ。「まぐろ」って下ネタ的意味もあるしね。
でも、もちろんそんな意味じゃありませんよ!
私は、「止まったら死ぬ」からまぐろちゃんなのです。
魚のマグロは、口から海水を取り込み、エラを通して体外へ排出します。その際、エラから海水に溶けた酸素を取り込むことで呼吸をしていると言われています。なので、魚のマグロは泳ぎ続け、口からエラへ絶えず海水を通し続けないと酸欠状態になってしまい、窒息死してしまうそうです。 (参考:https://alinamin.jp/tired/topics/04.html)
私は、「何か他人よりプラスアルファで!」、「何か常識よりひとつ大きく!」とにかく何かしていないとメンタルがよわよわになってしまいます。
もちろん私は、生まれた時から「まぐろちゃん」だったわけではありません。
私が自分を「まぐろ」だと認識したのは、高校3年生の時でした。
私は広島県内でちょっとだけ有名な高校に進学しました。そこはいわゆる自称進学校(笑)で、玉石混合とはいえ、そこそこの学力を持った学生たちが集まっていました。
私は入学して一番最初の学力調査で、学年1位になりました。
「あ、私意外と勉強できるのかも」と、その時思いました。今でもちょっとだけ誇りです笑
でも、ずーっと学年1位なわけがありませんでした。1年生、2年生と過ぎて行く頃には、私は学年の20〜40位を行ったり来たり、うまくいった時は10位前後、といったふうに、勉強も「普通にできる」くらいの人間になっていました。
「私、勉強はそんなにできないな」と思いました。
勉強以外にも、高校時代は部活として文芸部に所属していました。文芸部は、小説や詩を書く創作活動を行う部活です。
しかし、私の同期部員は、まさかの0人。
先輩もたった5人、1年後にはいってきた後輩に至っては2人だけでした。
しかし、このたった5人の先輩、たった2人の後輩が、とんでもない人たちでした。作品をコンクールに出せば、全員入賞、最優秀賞をとる人もいました。
そんななかで、私だけが3年間、一度も賞をとることができませんでした。
私はここでも、「私、創作もそんなにできないな」と思いました。
何もできないまま、私は高校2年生を過ごしていました。
この頃、私は精神を壊しはじめました。
とにかく、何をするにもやる気が起きない、学校に行くのも億劫になってきていました。毎日、家を出なければならない時間のギリギリまで食卓に座って、 「行きたくない…でも行かなきゃ…」と、自分に駄々をこね続けていました。
そして、高校2年生の誕生日、私は誕生日ケーキの味がわからなくなりました。
今でもはっきり覚えています。ブルーベリーのムースケーキでした。とにかく味がない、モチャモチャしたムースの食感だけわかる、といった状態でした。ストレスで味覚にまで影響が出ていました。
どうすることもできませんでした。
この時は、なぜ自分がこんな状態なのか、何がストレスなのかさえわかっていなかったからです。
そんな私の転機になったのは、高校3年生になってすぐの、新入生向け部活動勧誘行事でした。「新入生を全員集めるから、壇上で自由に部活をPRしてもいいよ!」といった内容でした。
例年、人気のある運動部が漫才をやったり、音楽系の部活が生演奏をやったりと、それはもう好き勝手に勧誘するカオスな行事でした。そんななか、万年日陰部活の文芸部は、部長がカンペを見ながら、何もせずボソボソ勧誘文句を垂れるだけという、なんとも面白みのない勧誘をしていました。
しかし、その年ばかりはそんな甘ったれた勧誘している場合ではありませんでした。
なんせ、当時、部員はたったの3人。
しかも、部長の私は来年には引退という、廃部寸前の状態だったからです。
とにかく部員を入れなければならない。しかも、入部してすぐに辞めるような 部員ではダメでした。入部してもみんな辞めてしまえば、結局廃部になってしまうからです。
だから、「本当に創作活動をやってみたい」と思っている超マイノリティな新入生に、この活動を届ける必要がありました。
やるだけやりました。友達から文芸部の印象を聞き出し、キャッチコピーを作り、どのように演じ、語るかまでしっかり考えました。
行事当日、とにかく楽しそうに、とにかくでかい声で、とにかくこだわったプレゼンテーションを披露しました。
想像以上にウケました。
別に、会場が笑いに包まれたわけでも、ざわついたわけでもありませんでしたが、とにかく大勢の人が、「文芸部」という名前を覚えました。
その日から、すれ違うほぼ全ての教員が私を呼び止め、感想を話してくれました。
全く知らない一年生が、私を指差して「文芸部の人だ」と言いました。
その年の新入部員は、5人でした。
「いや少ないな」と思った方、考えてください。5人もいれば、廃部にはならないのです。同期が5人もいるなら十分です。
そこからは、不思議なほどに色んなことができました。
部の出版物の改革、出版物のフルプロデュース、作品を用いた一般参加イベント企画、宣伝ポスターの撮影まで。
文芸部に所属しながら、創作以外の活動をやり続けていました。
私はそこではじめて、「私、こんなにできたんだ」と思えました。
そんな時、後輩が私に言いました。
「先輩って、まぐろみたいですよね」
「ずっと動いて、動かなかったら死んじゃって」
私はその時、「ああ、私は動いたから抜け出せたんだ」と思いました。
普通のものじゃ、どこにでもあるものじゃ、何もできなかったけど、
自分で、自分に合ったものを見つけられれば、そこで動ける。
動いていれば、私は活きられると思いました。
私はこの時から、「まぐろちゃん」になりました。
私は昔から、とても自分に期待をかける人間でした。端的に言ってしまえば、プライドが高いんでしょうね。
しかしそのうえで、中学生の頃から、「社会的に劣位に立たされている」とも感じていました。
何もしなければ、何もできなければ、私は惨めな人生を送るんだ
そう、強く強く信じていました。(今もですが)
当時の自分に唯一できた「何か」が勉強でした。
でも、その勉強でも抜きん出られない、部活でも何も結果を残せない、大きな無力感が、高校2年生の私をつくっていました。
大学に進学して、私は「cafe sowers」に出会いました。
ここが、今の私の動く場所。
私は活きるために、山梨県都留市でカフェを経営しています。
現在私は、経営学分野の、HRM(ヒューマンリソースマネジメント)や、キャリア論に興味を持っており、その実践の場として、「cafe sowers」で活動をしています。
いつか、「私が誇れる私」で生きていくために。
みんなからは、「まぐろちゃん」と呼ばれています。
どうぞよろしくお願いします!