こんにちは!FFJE 21期のFumikaです。
今回は、フランスの美術について書きたいと思います。今年のFFJEのテーマでもあるアートを題材とするのでぜひ読んでいただきたいです😊
とはいえ私自身がフランスの美術にすごく詳しいというわけではないので、分類などの過不足に関してはご容赦いただきたいです!
そもそも「フランス美術」といっても、フランスで作られたもの、フランスで学んだ美術家の作品、フランス生まれの美術家のもの等、さまざまな定義があります。
ということで、今回は代表的な「フランス生まれの作家」による絵画作品に限って、特に時代区分に拘らずほんの一部だけご紹介したいと思います!🎨👩🎨
[目次]
フランスの代表的美術家
19世紀パリのモダニズムな生活風景を描いた最初の画家。写実主義から印象派への移行をうながした重用な人物とみなされています。政界と強い関係を持つ上流階級の家庭で育ったマネですが、将来の約束された裕福な家庭生活を捨て、ボヘミアン的な自由な生活に走り、絵画の世界に夢中になります。
《草上の昼食》1863年
1863年にパリの落選展で展示した《草上の昼食》や、1865年にパリ・サロンに展示した《オランピア》は、パリの娼婦の裸体を描いたものですが、これらの作品が一般的に近代美術のはじまりで、マネは近代美術の創始者とみなされています。
《オランピア》1863年
両作品ともに大きなスキャンダラスを起こし、のちに印象派を創始する若い画家たちに多大な影響を与えました。
晩年のマネの生活は、同時代のほかの偉大な芸術家たちと絆を深めながら、革新的であり、また独自のスタイルは将来の美術家たちに影響をあたえました。
クロード・モネ/Claude Monet 印象派
印象派の創設者として自然(特に戸外制作での自然風景)に対して自分が認識した感覚を表現する」という基本的な印象派哲学を一貫して実践した芸術家です。「印象派」という言葉は、パリ・サロンから独立して1874年に開催された第一回独立展で展示されたモネの作品《印象・日の出》に由来しています。
フランスの田舎を記録しようとするモネの野望のなかで、光の変化と季節の移り変わりをとらえるために、時間帯や視点を変えて何度も同じ風景を描く方法を確立させました。代表的なのが「印象」シリーズや「睡蓮」シリーズです。
ポール・セザンヌ / Paul Cézanne
セザンヌは、当初は印象派のグループの一員として活動し、何度か印象派展にも出展していましたが、1880年代からグループを離れ、伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求し、最終的には、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホとならんで3大後期印象派の1人となりました。
マティスとピカソはセザンヌについて"近代美術の父"と述べています。
後期印象派へ
ポール・ゴーギャン / Paul Gauguin
それまでの印象派とははっきりと異なる実験的な色使いで制作していた後期印象派の代表的な作家で、彼はピカソやマティスといったのちの前衛美術家や近代美術に大きな影響を与えました。
後期印象派のなかでももっとも鮮明に印象派に対して批判的であり、外界を感覚的にとらえる印象派の自然主義を否定し、眼に見えない内面や神秘の世界、理念や思想の表現を志向するようになります。
ゴーギャンは象徴主義運動の重要な画家、彫刻家、版画家、陶芸家、著述家でもあります。彼の輪郭線と明確な形態を強調して、平坦な色面を装飾的に構成する美術様式は綜合主義というジャンルを開拓し、ほかにも、絵画における本来の表現を探求しました。
1906年にフォーヴィスムに参加し前衛芸術運動に参加しました。その後、パブロ・ピカソとともにポール・セザンヌの多視点のアイデアを基盤にしながらキュビスムを発展させたことで有名です。ピカソが移動に要する時間の差から生じる複数の視点に関心があったのに対し、ブラックは静止したオブジェを複数の視点から見つめることに関心がありました。
1908年から1912年までのブラックは、ピカソと密接に共同制作されていたこともあり、両者の作品の区別が付かないものも多数あるそうです。
アンリ・マティス / Henri Matisse フォーヴィズム
マティスは、大胆な色使いや素描が特徴のフォーヴィスム(野獣派)の発案者です。現在、マティスはパブロ・ピカソ、マルセル・デュシャンと並んで20世紀初頭の視覚芸術に革新的な発展を促した3大アーティストの1人として、美術的な評価を与えられています。線の単純化と色彩の純化によって、作者の個性や感情が伝わる表現を探求し、フォーヴィスムやフランスの表現主義とも呼ばれており、近代美術(前衛美術)を切り開きました。
初期こそフォーヴィスムを切り開いた前衛芸術家だったが、1920年代以降は古典絵画に回帰します。第二次世界大戦時のヴィシー政権下のフランスでも絵画活動を行い、並行して教会の内装デザインやグラフィックデザインでも活躍するようになり、晩年は色紙を切り貼りした切り絵(カットアウト)で壁画レベルの巨大な作品を制作して、評価を高めます。
後世の芸術家の影響は大きく、アンディ・ウォーホルは「マティスになりたかった」と話ています。
[参考文献]
https://www.artpedia.asia/artists/
※本記事は大きく上記サイトの各画家、作品ページに依拠しています。
今回は、フランスの美術について書きたいと思います。今年のFFJEのテーマでもあるアートを題材とするのでぜひ読んでいただきたいです😊
とはいえ私自身がフランスの美術にすごく詳しいというわけではないので、分類などの過不足に関してはご容赦いただきたいです!
そもそも「フランス美術」といっても、フランスで作られたもの、フランスで学んだ美術家の作品、フランス生まれの美術家のもの等、さまざまな定義があります。
ということで、今回は代表的な「フランス生まれの作家」による絵画作品に限って、特に時代区分に拘らずほんの一部だけご紹介したいと思います!🎨👩🎨
[目次]
フランスの代表的美術家
- 19世紀の画家
- 20世紀の画家
- 19世紀の芸術家
19世紀パリのモダニズムな生活風景を描いた最初の画家。写実主義から印象派への移行をうながした重用な人物とみなされています。政界と強い関係を持つ上流階級の家庭で育ったマネですが、将来の約束された裕福な家庭生活を捨て、ボヘミアン的な自由な生活に走り、絵画の世界に夢中になります。
《草上の昼食》1863年
1863年にパリの落選展で展示した《草上の昼食》や、1865年にパリ・サロンに展示した《オランピア》は、パリの娼婦の裸体を描いたものですが、これらの作品が一般的に近代美術のはじまりで、マネは近代美術の創始者とみなされています。
《オランピア》1863年
両作品ともに大きなスキャンダラスを起こし、のちに印象派を創始する若い画家たちに多大な影響を与えました。
晩年のマネの生活は、同時代のほかの偉大な芸術家たちと絆を深めながら、革新的であり、また独自のスタイルは将来の美術家たちに影響をあたえました。
クロード・モネ/Claude Monet 印象派
印象派の創設者として自然(特に戸外制作での自然風景)に対して自分が認識した感覚を表現する」という基本的な印象派哲学を一貫して実践した芸術家です。「印象派」という言葉は、パリ・サロンから独立して1874年に開催された第一回独立展で展示されたモネの作品《印象・日の出》に由来しています。
フランスの田舎を記録しようとするモネの野望のなかで、光の変化と季節の移り変わりをとらえるために、時間帯や視点を変えて何度も同じ風景を描く方法を確立させました。代表的なのが「印象」シリーズや「睡蓮」シリーズです。
《印象、日の出》1872年、 《睡蓮》1922年
ポール・セザンヌ / Paul Cézanne
セザンヌは、当初は印象派のグループの一員として活動し、何度か印象派展にも出展していましたが、1880年代からグループを離れ、伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求し、最終的には、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホとならんで3大後期印象派の1人となりました。
《サント=ヴィクトワール山》1887年
- 後期印象派とは、印象主義に欠如する構築性,形態感などを求めた画家たち。
マティスとピカソはセザンヌについて"近代美術の父"と述べています。
後期印象派へ
ポール・ゴーギャン / Paul Gauguin
それまでの印象派とははっきりと異なる実験的な色使いで制作していた後期印象派の代表的な作家で、彼はピカソやマティスといったのちの前衛美術家や近代美術に大きな影響を与えました。
後期印象派のなかでももっとも鮮明に印象派に対して批判的であり、外界を感覚的にとらえる印象派の自然主義を否定し、眼に見えない内面や神秘の世界、理念や思想の表現を志向するようになります。
ゴーギャンは象徴主義運動の重要な画家、彫刻家、版画家、陶芸家、著述家でもあります。彼の輪郭線と明確な形態を強調して、平坦な色面を装飾的に構成する美術様式は綜合主義というジャンルを開拓し、ほかにも、絵画における本来の表現を探求しました。
「黄色いキリスト」(1889年)
代表的な作品は1889年の「黄色いキリスト」で、重厚な黒い輪郭線で区切られた純色の色面が強調されている。このような作品においてゴーギャンは、古典的な遠近法や、色の微妙なグラデーションといった、ルネサンス美術以来の2つの重要な原則をほとんど無視しています。 - 20世紀の芸術家
1906年にフォーヴィスムに参加し前衛芸術運動に参加しました。その後、パブロ・ピカソとともにポール・セザンヌの多視点のアイデアを基盤にしながらキュビスムを発展させたことで有名です。ピカソが移動に要する時間の差から生じる複数の視点に関心があったのに対し、ブラックは静止したオブジェを複数の視点から見つめることに関心がありました。
1908年から1912年までのブラックは、ピカソと密接に共同制作されていたこともあり、両者の作品の区別が付かないものも多数あるそうです。
《果物皿とクラブのエース》1913年
1912年、ピカソやブラックの作品にはステンシルによる文字、新聞の切り抜き、木目を印刷した壁紙、ロープなど、本来の絵とは異質のオブジェを導入するコラージュを用いました。これらは形態を分解して、細分化する分析的キュビスムに対し、総合的キュビズムと呼ばれます。アンリ・マティス / Henri Matisse フォーヴィズム
マティスは、大胆な色使いや素描が特徴のフォーヴィスム(野獣派)の発案者です。現在、マティスはパブロ・ピカソ、マルセル・デュシャンと並んで20世紀初頭の視覚芸術に革新的な発展を促した3大アーティストの1人として、美術的な評価を与えられています。線の単純化と色彩の純化によって、作者の個性や感情が伝わる表現を探求し、フォーヴィスムやフランスの表現主義とも呼ばれており、近代美術(前衛美術)を切り開きました。
初期こそフォーヴィスムを切り開いた前衛芸術家だったが、1920年代以降は古典絵画に回帰します。第二次世界大戦時のヴィシー政権下のフランスでも絵画活動を行い、並行して教会の内装デザインやグラフィックデザインでも活躍するようになり、晩年は色紙を切り貼りした切り絵(カットアウト)で壁画レベルの巨大な作品を制作して、評価を高めます。
後世の芸術家の影響は大きく、アンディ・ウォーホルは「マティスになりたかった」と話ています。
《帽子の女》1905年
1905年の第二回サロン・ドートンヌで展示するために描かれたもので、マティス周辺の画家たちが“フォーヴィスム”と呼ばれるきっかけとなったエポック的な作品です。[参考文献]
https://www.artpedia.asia/artists/
※本記事は大きく上記サイトの各画家、作品ページに依拠しています。