私が武道を通して学んだ事は「相手への思いやりの心」です。武道の「武」という字から攻撃的なイメージを連想してしまう事がありますが、武道とは決してそのような粗野ものではありません。少林寺拳法の修行を行う中でこの「武」という字について学ぶ事がありました。それは「武」というのは「戈を止める」ものである、つまり争いを止めるためのものであるということです。そしてそこで用いられる力が相手に対しての慈悲心がないものであったり、自己の名誉のためであるとすればそれは単なる暴力であり、人道に反するものとなってしまいかねないのです。そのため、武の道の上に立つ人間として、如何なる場面においても相手に対して思いやりを持って接するということは須く求められるものであると考えています。そして思いやりというのは礼節にも繋がるものだと考えます。接する相手に心地よくいて頂くためには礼儀を重んじることは必要不可欠です。そしてそれは先輩や先生など目上の方に対してのみ向けられるものではなく、一緒に修練に励む同輩や後輩に対しても同じ事だと考えています。少林寺拳法は「組手主体」という特性上、相手に対して実際に技をかける機会が非常に多くあります。そうした場面においても、技をかけさせて頂く相手に対しての感謝の心を常に持つことは少林寺拳法及び武道に携わる人間として忘れては行けない事だと、この記事を執筆するにあたって改めて感じます。