12/7に引退した。
もう2部昇格を目指してラクロスをすることはないのか。
なぎに電話で起こしてもらうことも、
夜中までmtgをすることも、
コーチに歯向かって”キューティーハニー”といじられることも(だってだってと反抗してばかりだったから笑)、
ナイター後にともきさんとスタンシュー対決をすることも。
引退して3週間経った今でも、ふとした時にこんなことを思っている。
2部昇格したかった。
来年2部で戦うみんなを応援したかった。
1部で戦うための2部昇格だと言い続けたが結局結果は3部残留。4年間昇格戦に進むこともできなかった。
けど引退してみれば、結果は残らずとも沢山得たものがあったなと思う。
ここでは、4年間を振り返りながらその得たものや後輩に伝えたいことを残すことにする。
(色んな感情を思い出してとにかく長くなってしまいました。このブログがどこかの誰かの背中を押したり何かに響いてくれたらいいなと思いながら書いてみます。)
怪我に苦しんだ1年目。
入部して1ヶ月経たずで右膝の脱臼を再発し、2ヶ月後に復帰するも、9月末に2度目の脱臼をして1月に手術。
サマーもウィンターもあすなろも、10月から12月まで続いたリーグ戦も、全て出場することなく終わった。
人数が少ないためユニフォームに袖を通すこともなく、ベンチ外からビデオを撮ったリーグ全戦。
1年目で試合に出たのは、四大戦vs成城3Qであげたドロー1回だけ。
ふうさんやはつきさんから「辞めると思っていた」と言われた1年目。
私がこんな1年目を乗り越えられたのは、先輩やコーチがラクロスと武蔵の魅力を見せ続けてくれたからだ。
先輩が、本気でラクロスと向き合い求め合うかっこいい姿を見せてくれたから「私が上級生になったら」「4年生になったら」と考えてワクワクすることができた。
なにより、誰よりも楽しそうにコーチがラクロスをしていたから。コーチの4年生を勝たせたいという気持ちが伝わってきたから。
先輩やコーチのラクロスに対する姿勢には心を打たれていたし、だから多少厳しくてもそりゃそうだよなって思ってた。早くこんなにアツくなれるくらいラクロスを好きになりたいなと思っていたし、先輩が好きだったから勝ちたいと思っていた。
そしてなにより、先輩もコーチも私に求め続けてくれたから続けられた。
怪我中も復帰後も決して甘えさせてくれなかった。「怪我中でもできることはあるよ」と言われ、けど具体的なことは言われず、あくまで私がどう行動するか、なにを選択するか、を見られていた気がする。
周りに怪我をしている人もいない。練習が始まればみんな集中するから誰も私を気にかけない。当時は同期に泣き言を言える関係でもなかった。
けど甘えられない環境があったから、「このままで終われない」と闘志を燃やすことができていた気がする。
ラクロスをやる目的も特になく、「求められるなら」「褒められるなら」という気持ちで続けていた。他人に自分の存在意義を委ね、褒められるためにラクロスをしていた1年目だった。
これは当時(1年生、7月)のラクロスノートのメモの一部。求めてくれていたから自分も常に高みを目指せていたし、「1年の中で圧倒的1番に!」「先輩をおびやかす存在に」「自分が味方も敵も動かす。あやつる。」「先輩は目標じゃない、越えるべき存在」とか生意気なメモが沢山書かれていた
泣かない日の方が少なかった1年目。ワクワクな気持ちを与えてくれた先輩やコーチ方には本当に感謝している。
4年間で1番辛かった2年目。
コーチからアドバイスをもらえる同期を眺めながら隅で1人でリハビリをする時間。シュートが決まって抱き合うみんなを外から見てる時間。
ワクワクな気持ちを与えられている環境に甘えていた私は、この頃には大半が「悔しい」「羨ましい」「辛い」という感情でいっぱいだった。(ワクワクは自分から掴みにいくものなのにコーチや先輩が今まで与えてくれていたから、)
そして、そんなマイナスな気持ちとすぐに向き合い、原動力にできる人間ではなかった。
何より少しずつ復帰できるようになってからの練習はイメージしていた自分とかけ離れていてすごく苦しかった。
後輩もできて、より挑戦することが怖くなった。下手くそなプレーを見せたくなくて苦手に向き合うことが怖くなった。
そしてこの時期、怪我や自分の気持ちと向き合うことから逃げて、チームのことに目を向けた。
怪我期間でコーチの戦術を側で聞いているうちに、もっとチーム戦術について知りたい!という気持ちが大きくなり、やる気100%で始めた「技術」という役職。
けど実際は、50%は自分と向き合うことから逃げたくて始めていたと思う。
ただ、逃げで始めた「技術」は、じょーさんふうさんの考えの深さや新しいことの発見の連続で本当にワクワクした。この考えがプレーに落とし込めたらすごく楽しいんだろうなと思っていた。逃げでも何でもやってよかったと思う。
下手くそだった言語化や発信することが少しずつできるようになったのもこの時期。
ふうさん面談の時に「言語化をもっと高めるべき。「何だっけ?」って言って笑うのなしね?伝わってないよ」って言われたのが懐かしい。
チームで1番の下手くそが、技術としてチームの先頭に立って発信することは怖かった。けどひかるも言ってたけど、自分が高い基準を作らないといけないと思っていた。2年目にして自分が「チームの基準を決める」「チームの勝敗を担う」覚悟をした。
2年の同期がチームの過半数を占めていた2年目、今思えば2部昇格という目標に向けて一人一人が別々に目指していたなと感じる。
隣を見れば楽しくラクロスができずに苦しんでいる人がいたのに、「2部昇格するために」という気持ちが先行して相手の気持ちに寄り添わずに沢山求めてしまっていた。
週2.3あるmtgや毎日ある何かしらの期限、自分が出てない試合のビデミ、休みの人が多い練習、前向きにならないmtg。嫌なこともたくさんあったが、昇格のために必要なものだと思っていた。
(今思えば、全部have funの気持ちを持って取り組んでいればもっともっと、ずっと課題だったチームの雰囲気も自然と上がっていたんだろうなと思う。)
なにより、チームの方向を決める私がそんな気持ちでラクロスをしているのにみんなが心の底から楽しめるはずがなかった。
毎週訪れるリーグ戦。
みんな、負けても切り替えようと次の試合を見据えていたが、隣の顔を見れていなかった。
そんなことに気づかされたのはリーグ戦の真っ只中じょーさんに言われた時だった。
2部昇格に一直線に進みすぎて、「どんなチームで、どんな顔で終わりたいのか」を考えられなくなっていた。
自分や技術に精一杯で、周りの顔を見れずにただがむしゃらに正解だと信じて進んだ2年目。
この時期から「楽しんでラクロスをすること」に目を向け始めた気がする。
そして3年目。3年目は足踏みをしているなと実感することが多かった。
「今から始動だ」というタイミングで唯一の4年生が辞めてしまい急に最高学年となった。
右も左も分からない始動準備では、多くのことに躓きコーチと今まで築いてきたものを壊した。
2年生とすれ違う意見を合わせる術を知らず、たくさんの不満を抱えさせ辞めたいと思わせた。
さらに一緒に頑張ってきた同期2人が突然辞め、新歓も思うようにいかず、部員10人、マネージャー0人。
2年目終わった時の想像とは違い、「リーグ戦に自チームだけで出られるのか、?」そんなことで悩むスタートになった。
リーグ戦では足を吊り、何度もオフィシャルタイムアウトで時間を止めた。
そして1勝2敗。自分のプレーもチームの結果も喜べるものじゃなかった。
2年の時は自分が基準になるという気持ちが強く、傲慢なガキだった。
しかし3.4年生がいなくなってから、私が自由に強気で伸び伸びいれたことは、先輩がチームの基盤を作り生意気な私を受け入れてくれていたからだと気づいた。
これに気づけた3年の頭には、「謙虚になること」「意見を受け入れ尊重する姿勢」「見返りを求めない姿勢」を意識するようになった。それでもやっぱり私はガキだなといつも感じているし、先輩方やなぎの寛大さには頭が上がらない。
それぞれの強みに気づき補い合うようになったのは3年の後半頃だったと思う。
足踏みしてしまったと思っていたが、終わった時には来年の自信になる1年間になった。
周りから武蔵は凄いねと言われる機会も増え、愛されてるチームだなと感じる機会も増えた。
3年目は、何事も1人でできないことを知った。
周りがいるから自分が自由にできていることを知った。
助っ人で入ってくれる相手チームの方やあやさん、OGさん。武者に来てくれるみんな。今までの先輩方。コーチ。
いろんな方への感謝の気持ちが強くなった3年目だったし、感謝を言葉や行動で体現して愛されるチームにしたいとより思った1年になった。
数日前、今までのリーグ戦を数値で振り返ってみた。
2021年 0点 怪我でベンチ外。
2022年 4/8点 50%
2023年 4/12点 33%
ATだよね?というような低い数値。笑
向き合っているようで逃げてばかりだった3年間。
自分の弱みから逃げるようにOFのNBCの動きを極めた3年間。
2023年の反省では、「得意の中の弱みに向き合うことで満足して、苦手に本気で向き合えなかった」と書かれていた。その通りだった。
そして4年目。
私は4年の始動時にこんな目標を立てた。
そして技術面では「圧倒的フィニッシャー」になると宣言した。
最後の1年は私の存在が誰かの原動力でありたいと思った。
そしてこの4年間で得たものを全てチームに残して引退しようと思った。
(どんなチームでありたいか、沢山考えた)
楽しみだった鹿島合宿の10日前だった。
人生5度目、ラクロスを始めて3回目の右膝の脱臼をした。
手術のいらない亜脱臼だったのに、今までとは違くてなかなか落ち込んだのを覚えている。
ただ、この時は落ち込んでも長く沈むことはなかった。明確にあった目標が私を引き上げてくれたし、存在意義ももう他人に委ねていなかったから。
当時(4年2/21日)の日記。
ネガティブっぽいけどよく見るとポジティブな文。笑
成城戦前のコーチのブログを読んで、チームとしてさらにレベルアップしメンタル的に強くなったのは、みっちーさんともきさんが今までになかった角度からの意見や考えを持ち込んでくれたからだと思う。
はつきさんは当たり前の基準を高くしてくれた。
そして私が1年の時からHCをしていただいたじょーさん、1年の時の育成コーチで2年からACとして関わっていただいたふうさん。お二人は常に武蔵に求め続けてくれた。
じょーさんふうさんはツンデレなので()今までチームへの本音を聞く機会はあまりなかった。上の代への気持ちもブログで初めて知った。
ブログからは、コーチみんなが昇格できると信じていて武蔵のことが大好きなのが伝わってきて、OGさんやコーチの想いを背負って戦いたいと思ったし、心がアツくなった。
(他人の気持ちを背負いたいと思ったのが初めてだった)
そして迎えたワイルドカード戦。
私自身はあまりいいプレーはできなかった。
ただ、4年目で1番意識したゲームメイクの部分や雰囲気作りは1番いい形でできたと思う。
試合後、みっちーさんに泣きつくように後悔を口にした。「昇格戦では絶対に」という話をしていた。
だから一橋が千葉にビハインドになってる試合中は、縋るように声を出したし、負けた時は涙が止まらずしばらく顔を上げられなかった。
やり切った!出し切った!という顔をした、そらやいとの顔をみてさらに悔しくなった。
コーチが泣いてるのを見て嬉し涙を流させたかったと思った。
けどチームは試合に入る前から集中していたしいい意味でリラックスできていたしみんないい顔していた。
特に同期はみんなコート上で生き生きしていた。
1戦目vs帝京 7/12点
点は決めたものの、武蔵らしいプレーは少なかった。
ただずっと逃げていたワンワンからのシュートが決まって嬉しかったこと、4Qにボールが集まり4/4点決めれたことはすごく覚えている。
2戦目vs上智 0/2点
1番悔しかった試合。シャットされ、シャットごときで自分らしいプレーができない自分が悔しかった。
3戦目vs東京女子3/5点
武蔵の意地を見た試合だった。取られたら取り返すの繰り返し。私も1人でライドで点を取った。気持ちが全面に出た試合だった。
4戦目vs成城 9/10点
BTBを決めた!できるまでやると決めたシュートが試合でできて嬉しかった。試合前に宣言したことをまなみさんが読んでくれていて喜んでくれていたことが嬉しかった。
ワイルドカード戦vs一橋 1/2点
ブレイクで決めた一点はひかるからのパスが見えなくて予測で取った笑取れてよかったし決めれてよかったあ笑
始めに連続でやられた時はドキドキしたけど、誰も下を向いていなかった。
ワイルドカード戦vs千葉 2/3点
スタンシューをはずした。球離れを早くすることと強くゴールに向かうことのプレー選択に迷った。
最後の最後に足を吊って抜けた時は申し訳なさでいっぱいだった。
2024年のリーグ戦は22/32点、69%という結果だった。
結局は勝ち負けで得点は関係ないけど、それでもこの数値は3年間に比べれば上出来だったし、今までの努力を認めてあげれるものになった。
今までのスポーツ人生、なんとなく”上手いほう”に立っていた私が、ラクロスで初めて”1番へた”な立場になった。
最初は自分が”下手な側”であることを認めたくなかった。
けど”下手な自分””できない自分”を認めて、苦しい時間も伸び代の時間と捉えて楽しみ、悩みすぎずポジティブに、自分の可能性を信じた。嘘でも自信を持っているふりをした。
そしたらいつのまにか本当の自信につながっていたし、よりできることに目を向けられるようになれた。(そもそもポジティブ人間なのがスーパーポジティブ人間になった笑)
4年目はとにかく挑戦することを辞めなかった。新しいことを身につけることが1番ワクワクしたし楽しかったから。楽しい!やってみたい!という気持ちに素直に従った。そしたら始動時に立てた目標を達成することができていた。いつのまにかチームの原動力になれていた。ラクロスというスポーツが大好きになっていた。
私が4年間意識し続けたのは上手い人のプレーを真似し続けたこと。シュー練の時は真似したい人の後ろに並び同じシュートを打つ、インスタで真似したいプレーをとにかく探す、武者に行く、何を意識しているか質問する、その中からいいなって考えだけ取り入れて、自分なりのプレーにしていく、、このサイクルで他人の真似だったプレーが自分らしいプレーに変わりました。
プレーだけじゃなくて雰囲気作りでも、りのさんを真似して明るい雰囲気を作ったり、はつきさんを真似して雰囲気をビシッとさせたりした。
こんな人になりたい、こんなプレーをしたい、と思ったらまず質問するんじゃなくてやってみる。新しい人と出会えればそれだけ新しいものを取り入れられるから練習中はいろんな人に声をかけた。
モノマネが自分らしさに変わっていくのがすごく楽しかったな。
○お母さんへ
怪我が尽きず心配ばかりだったと思います。心配性なのに何も言わずに側で支えてくれてありがとう。そして毎回現地まで応援に来てくれてありがとう。これが私の自慢のチームです。
○応援してくれた友達、武者へ
沢山応援に来てくれてありがとう!
何回も見にきてくれて、声を出して応援してくれて、感動した、面白かったと言ってくれて、、
私が本気で頑張っているものを本気で応援してくれてありがとうでした!
武者のみんなも本当に沢山練習に参加してくれてありがとうございました。武蔵の強さは武者のみんなと作ったものです。沢山の刺激とワクワクをありがとうございました!
○チームのみんなへ
私こそ与えられてばかりの4年間でした。
私が私らしくいれたのはみんながいたから。
私のエゴを突き通せたのもみんなだったから。
このチームだから私は輝けました。
最後の一年、特にボールの重みが違った。
みんなが繋いでくれたボールを簡単にセーブされるわけにはいかないと思った。
みんながいたから、私は強くなれました。
○同期へ。
ここまで本当にお疲れ様!
なぎが主将だから武蔵は愛されるチームになった。
そらの不器用だけどまっすぐな頑張る姿勢に背筋が伸びた。
いとの大きな優しさで学年を超えてまとまれた。
ひかるとだから技術を続けられたし、同じ熱量で意見をぶつけたことで時には私の意見に自信を持たせてくれた。
ラクロス部に入ってよかったことの一つは、尊敬できるみんなに出会えたこと!みんなを誇りに思います!
○後輩へ
間違いを恐れて行動や発言に制限をかけないで。挑戦心を忘れずにやってみる勇気を持って。
自分が信じた道が正解になるまで努力して。
Stay hungry であれ。Have funを忘れないで。
「最後の1年生試合。試合前ラスト。今年ラスト。」
名前がつけられる試合ではなく、毎日の練習と日々の過ごし方に拘って。
25チーム、初めは人数が少なくてアフターしてる気分になると思う。
目標に近づいているか不安になる日があると思う。
でもその1日1日を、一つ一つのメニューを、目標を持って積み重ねていけば大丈夫!
全てをぶつけても勝てなかったワイルドカード。
今までの基準で来年を過ごせば同じ結果だと思う。OGさんが作ってくれたものを、思い切って壊して新しくつくる必要もあると思う。
レールがないのは怖いけど、信じて進めばコーチは助けてくれるし正解にするまで努力すれば大丈夫。
私たち昇格できなかった代のレールに乗らずに、自分たちらしいチームで、自分たちのラクロスを作り、今の環境に満足せず、外のラクロスに沢山触れ、毎日ひたむきに、感謝を忘れずに、辛い時は同期の顔を見て、自分の今までの過程を見返して認めてあげて、なによりどんな時でも前を向いて楽しんで!
Life is fun because unpredictable
人生は予測不能だから面白い
この先絶対に思い通りにいかないことが起こる。
でもその出来事を経験できるのは自分だけだから。
辛い!悔しい!という感情も、楽しい!面白い!という気持ちと同じだけ楽しんで欲しいと思います!
周りに恵まれ、支えられながら新しい自分に出会えました。
最高の4年間でした!
ありがとうございました!
すー
平素より武蔵大学女子ラクロス部を応援していただきありがとうございます。
活動を支援してくださっている関係者の皆様、ご家族の皆様、OB.OGの皆様、指導して下さるコーチの方々に感謝を申し上げます。今後ともラクロス部をよろしくお願い致します。
12/7に引退した。
もう2部昇格を目指してラクロスをすることはないのか。
なぎに電話で起こしてもらうことも、
夜中までmtgをすることも、
コーチに歯向かって”キューティーハニー”といじられることも(だってだってと反抗してばかりだったから笑)、
ナイター後にともきさんとスタンシュー対決をすることも。
引退して3週間経った今でも、ふとした時にこんなことを思っている。
2部昇格したかった。
来年2部で戦うみんなを応援したかった。
1部で戦うための2部昇格だと言い続けたが結局結果は3部残留。4年間昇格戦に進むこともできなかった。
けど引退してみれば、結果は残らずとも沢山得たものがあったなと思う。
ここでは、4年間を振り返りながらその得たものや後輩に伝えたいことを残すことにする。
(色んな感情を思い出してとにかく長くなってしまいました。このブログがどこかの誰かの背中を押したり何かに響いてくれたらいいなと思いながら書いてみます。)
怪我に苦しんだ1年目。
入部して1ヶ月経たずで右膝の脱臼を再発し、2ヶ月後に復帰するも、9月末に2度目の脱臼をして1月に手術。
サマーもウィンターもあすなろも、10月から12月まで続いたリーグ戦も、全て出場することなく終わった。
人数が少ないためユニフォームに袖を通すこともなく、ベンチ外からビデオを撮ったリーグ全戦。
1年目で試合に出たのは、四大戦vs成城3Qであげたドロー1回だけ。
ふうさんやはつきさんから「辞めると思っていた」と言われた1年目。
私がこんな1年目を乗り越えられたのは、先輩やコーチがラクロスと武蔵の魅力を見せ続けてくれたからだ。
先輩が、本気でラクロスと向き合い求め合うかっこいい姿を見せてくれたから「私が上級生になったら」「4年生になったら」と考えてワクワクすることができた。
なにより、誰よりも楽しそうにコーチがラクロスをしていたから。コーチの4年生を勝たせたいという気持ちが伝わってきたから。
先輩やコーチのラクロスに対する姿勢には心を打たれていたし、だから多少厳しくてもそりゃそうだよなって思ってた。早くこんなにアツくなれるくらいラクロスを好きになりたいなと思っていたし、先輩が好きだったから勝ちたいと思っていた。
そしてなにより、先輩もコーチも私に求め続けてくれたから続けられた。
怪我中も復帰後も決して甘えさせてくれなかった。「怪我中でもできることはあるよ」と言われ、けど具体的なことは言われず、あくまで私がどう行動するか、なにを選択するか、を見られていた気がする。
周りに怪我をしている人もいない。練習が始まればみんな集中するから誰も私を気にかけない。当時は同期に泣き言を言える関係でもなかった。
けど甘えられない環境があったから、「このままで終われない」と闘志を燃やすことができていた気がする。
ラクロスをやる目的も特になく、「求められるなら」「褒められるなら」という気持ちで続けていた。他人に自分の存在意義を委ね、褒められるためにラクロスをしていた1年目だった。
これは当時(1年生、7月)のラクロスノートのメモの一部。求めてくれていたから自分も常に高みを目指せていたし、「1年の中で圧倒的1番に!」「先輩をおびやかす存在に」「自分が味方も敵も動かす。あやつる。」「先輩は目標じゃない、越えるべき存在」とか生意気なメモが沢山書かれていた
泣かない日の方が少なかった1年目。ワクワクな気持ちを与えてくれた先輩やコーチ方には本当に感謝している。
4年間で1番辛かった2年目。
コーチからアドバイスをもらえる同期を眺めながら隅で1人でリハビリをする時間。シュートが決まって抱き合うみんなを外から見てる時間。
ワクワクな気持ちを与えられている環境に甘えていた私は、この頃には大半が「悔しい」「羨ましい」「辛い」という感情でいっぱいだった。(ワクワクは自分から掴みにいくものなのにコーチや先輩が今まで与えてくれていたから、)
そして、そんなマイナスな気持ちとすぐに向き合い、原動力にできる人間ではなかった。
何より少しずつ復帰できるようになってからの練習はイメージしていた自分とかけ離れていてすごく苦しかった。
後輩もできて、より挑戦することが怖くなった。下手くそなプレーを見せたくなくて苦手に向き合うことが怖くなった。
そしてこの時期、怪我や自分の気持ちと向き合うことから逃げて、チームのことに目を向けた。
怪我期間でコーチの戦術を側で聞いているうちに、もっとチーム戦術について知りたい!という気持ちが大きくなり、やる気100%で始めた「技術」という役職。
けど実際は、50%は自分と向き合うことから逃げたくて始めていたと思う。
ただ、逃げで始めた「技術」は、じょーさんふうさんの考えの深さや新しいことの発見の連続で本当にワクワクした。この考えがプレーに落とし込めたらすごく楽しいんだろうなと思っていた。逃げでも何でもやってよかったと思う。
下手くそだった言語化や発信することが少しずつできるようになったのもこの時期。
ふうさん面談の時に「言語化をもっと高めるべき。「何だっけ?」って言って笑うのなしね?伝わってないよ」って言われたのが懐かしい。
チームで1番の下手くそが、技術としてチームの先頭に立って発信することは怖かった。けどひかるも言ってたけど、自分が高い基準を作らないといけないと思っていた。2年目にして自分が「チームの基準を決める」「チームの勝敗を担う」覚悟をした。
2年の同期がチームの過半数を占めていた2年目、今思えば2部昇格という目標に向けて一人一人が別々に目指していたなと感じる。
隣を見れば楽しくラクロスができずに苦しんでいる人がいたのに、「2部昇格するために」という気持ちが先行して相手の気持ちに寄り添わずに沢山求めてしまっていた。
週2.3あるmtgや毎日ある何かしらの期限、自分が出てない試合のビデミ、休みの人が多い練習、前向きにならないmtg。嫌なこともたくさんあったが、昇格のために必要なものだと思っていた。
(今思えば、全部have funの気持ちを持って取り組んでいればもっともっと、ずっと課題だったチームの雰囲気も自然と上がっていたんだろうなと思う。)
なにより、チームの方向を決める私がそんな気持ちでラクロスをしているのにみんなが心の底から楽しめるはずがなかった。
毎週訪れるリーグ戦。
みんな、負けても切り替えようと次の試合を見据えていたが、隣の顔を見れていなかった。
そんなことに気づかされたのはリーグ戦の真っ只中じょーさんに言われた時だった。
2部昇格に一直線に進みすぎて、「どんなチームで、どんな顔で終わりたいのか」を考えられなくなっていた。
自分や技術に精一杯で、周りの顔を見れずにただがむしゃらに正解だと信じて進んだ2年目。
この時期から「楽しんでラクロスをすること」に目を向け始めた気がする。
そして3年目。3年目は足踏みをしているなと実感することが多かった。
「今から始動だ」というタイミングで唯一の4年生が辞めてしまい急に最高学年となった。
右も左も分からない始動準備では、多くのことに躓きコーチと今まで築いてきたものを壊した。
2年生とすれ違う意見を合わせる術を知らず、たくさんの不満を抱えさせ辞めたいと思わせた。
さらに一緒に頑張ってきた同期2人が突然辞め、新歓も思うようにいかず、部員10人、マネージャー0人。
2年目終わった時の想像とは違い、「リーグ戦に自チームだけで出られるのか、?」そんなことで悩むスタートになった。
リーグ戦では足を吊り、何度もオフィシャルタイムアウトで時間を止めた。
そして1勝2敗。自分のプレーもチームの結果も喜べるものじゃなかった。
2年の時は自分が基準になるという気持ちが強く、傲慢なガキだった。
しかし3.4年生がいなくなってから、私が自由に強気で伸び伸びいれたことは、先輩がチームの基盤を作り生意気な私を受け入れてくれていたからだと気づいた。
これに気づけた3年の頭には、「謙虚になること」「意見を受け入れ尊重する姿勢」「見返りを求めない姿勢」を意識するようになった。それでもやっぱり私はガキだなといつも感じているし、先輩方やなぎの寛大さには頭が上がらない。
それぞれの強みに気づき補い合うようになったのは3年の後半頃だったと思う。
足踏みしてしまったと思っていたが、終わった時には来年の自信になる1年間になった。
周りから武蔵は凄いねと言われる機会も増え、愛されてるチームだなと感じる機会も増えた。
3年目は、何事も1人でできないことを知った。
周りがいるから自分が自由にできていることを知った。
助っ人で入ってくれる相手チームの方やあやさん、OGさん。武者に来てくれるみんな。今までの先輩方。コーチ。
いろんな方への感謝の気持ちが強くなった3年目だったし、感謝を言葉や行動で体現して愛されるチームにしたいとより思った1年になった。
数日前、今までのリーグ戦を数値で振り返ってみた。
2021年 0点 怪我でベンチ外。
2022年 4/8点 50%
2023年 4/12点 33%
ATだよね?というような低い数値。笑
向き合っているようで逃げてばかりだった3年間。
自分の弱みから逃げるようにOFのNBCの動きを極めた3年間。
2023年の反省では、「得意の中の弱みに向き合うことで満足して、苦手に本気で向き合えなかった」と書かれていた。その通りだった。
そして4年目。
私は4年の始動時にこんな目標を立てた。
そして技術面では「圧倒的フィニッシャー」になると宣言した。
最後の1年は私の存在が誰かの原動力でありたいと思った。
そしてこの4年間で得たものを全てチームに残して引退しようと思った。
(どんなチームでありたいか、沢山考えた)
楽しみだった鹿島合宿の10日前だった。
人生5度目、ラクロスを始めて3回目の右膝の脱臼をした。
手術のいらない亜脱臼だったのに、今までとは違くてなかなか落ち込んだのを覚えている。
ただ、この時は落ち込んでも長く沈むことはなかった。明確にあった目標が私を引き上げてくれたし、存在意義ももう他人に委ねていなかったから。
当時(4年2/21日)の日記。
ネガティブっぽいけどよく見るとポジティブな文。笑
成城戦前のコーチのブログを読んで、チームとしてさらにレベルアップしメンタル的に強くなったのは、みっちーさんともきさんが今までになかった角度からの意見や考えを持ち込んでくれたからだと思う。
はつきさんは当たり前の基準を高くしてくれた。
そして私が1年の時からHCをしていただいたじょーさん、1年の時の育成コーチで2年からACとして関わっていただいたふうさん。お二人は常に武蔵に求め続けてくれた。
じょーさんふうさんはツンデレなので()今までチームへの本音を聞く機会はあまりなかった。上の代への気持ちもブログで初めて知った。
ブログからは、コーチみんなが昇格できると信じていて武蔵のことが大好きなのが伝わってきて、OGさんやコーチの想いを背負って戦いたいと思ったし、心がアツくなった。
(他人の気持ちを背負いたいと思ったのが初めてだった)
そして迎えたワイルドカード戦。
私自身はあまりいいプレーはできなかった。
ただ、4年目で1番意識したゲームメイクの部分や雰囲気作りは1番いい形でできたと思う。
試合後、みっちーさんに泣きつくように後悔を口にした。「昇格戦では絶対に」という話をしていた。
だから一橋が千葉にビハインドになってる試合中は、縋るように声を出したし、負けた時は涙が止まらずしばらく顔を上げられなかった。
やり切った!出し切った!という顔をした、そらやいとの顔をみてさらに悔しくなった。
コーチが泣いてるのを見て嬉し涙を流させたかったと思った。
けどチームは試合に入る前から集中していたしいい意味でリラックスできていたしみんないい顔していた。
特に同期はみんなコート上で生き生きしていた。
1戦目vs帝京 7/12点
点は決めたものの、武蔵らしいプレーは少なかった。
ただずっと逃げていたワンワンからのシュートが決まって嬉しかったこと、4Qにボールが集まり4/4点決めれたことはすごく覚えている。
2戦目vs上智 0/2点
1番悔しかった試合。シャットされ、シャットごときで自分らしいプレーができない自分が悔しかった。
3戦目vs東京女子3/5点
武蔵の意地を見た試合だった。取られたら取り返すの繰り返し。私も1人でライドで点を取った。気持ちが全面に出た試合だった。
4戦目vs成城 9/10点
BTBを決めた!できるまでやると決めたシュートが試合でできて嬉しかった。試合前に宣言したことをまなみさんが読んでくれていて喜んでくれていたことが嬉しかった。
ワイルドカード戦vs一橋 1/2点
ブレイクで決めた一点はひかるからのパスが見えなくて予測で取った笑取れてよかったし決めれてよかったあ笑
始めに連続でやられた時はドキドキしたけど、誰も下を向いていなかった。
ワイルドカード戦vs千葉 2/3点
スタンシューをはずした。球離れを早くすることと強くゴールに向かうことのプレー選択に迷った。
最後の最後に足を吊って抜けた時は申し訳なさでいっぱいだった。
2024年のリーグ戦は22/32点、69%という結果だった。
結局は勝ち負けで得点は関係ないけど、それでもこの数値は3年間に比べれば上出来だったし、今までの努力を認めてあげれるものになった。
今までのスポーツ人生、なんとなく”上手いほう”に立っていた私が、ラクロスで初めて”1番へた”な立場になった。
最初は自分が”下手な側”であることを認めたくなかった。
けど”下手な自分””できない自分”を認めて、苦しい時間も伸び代の時間と捉えて楽しみ、悩みすぎずポジティブに、自分の可能性を信じた。嘘でも自信を持っているふりをした。
そしたらいつのまにか本当の自信につながっていたし、よりできることに目を向けられるようになれた。(そもそもポジティブ人間なのがスーパーポジティブ人間になった笑)
4年目はとにかく挑戦することを辞めなかった。新しいことを身につけることが1番ワクワクしたし楽しかったから。楽しい!やってみたい!という気持ちに素直に従った。そしたら始動時に立てた目標を達成することができていた。いつのまにかチームの原動力になれていた。ラクロスというスポーツが大好きになっていた。
私が4年間意識し続けたのは上手い人のプレーを真似し続けたこと。シュー練の時は真似したい人の後ろに並び同じシュートを打つ、インスタで真似したいプレーをとにかく探す、武者に行く、何を意識しているか質問する、その中からいいなって考えだけ取り入れて、自分なりのプレーにしていく、、このサイクルで他人の真似だったプレーが自分らしいプレーに変わりました。
プレーだけじゃなくて雰囲気作りでも、りのさんを真似して明るい雰囲気を作ったり、はつきさんを真似して雰囲気をビシッとさせたりした。
こんな人になりたい、こんなプレーをしたい、と思ったらまず質問するんじゃなくてやってみる。新しい人と出会えればそれだけ新しいものを取り入れられるから練習中はいろんな人に声をかけた。
モノマネが自分らしさに変わっていくのがすごく楽しかったな。
○お母さんへ
怪我が尽きず心配ばかりだったと思います。心配性なのに何も言わずに側で支えてくれてありがとう。そして毎回現地まで応援に来てくれてありがとう。これが私の自慢のチームです。
○応援してくれた友達、武者へ
沢山応援に来てくれてありがとう!
何回も見にきてくれて、声を出して応援してくれて、感動した、面白かったと言ってくれて、、
私が本気で頑張っているものを本気で応援してくれてありがとうでした!
武者のみんなも本当に沢山練習に参加してくれてありがとうございました。武蔵の強さは武者のみんなと作ったものです。沢山の刺激とワクワクをありがとうございました!
○チームのみんなへ
私こそ与えられてばかりの4年間でした。
私が私らしくいれたのはみんながいたから。
私のエゴを突き通せたのもみんなだったから。
このチームだから私は輝けました。
最後の一年、特にボールの重みが違った。
みんなが繋いでくれたボールを簡単にセーブされるわけにはいかないと思った。
みんながいたから、私は強くなれました。
○同期へ。
ここまで本当にお疲れ様!
なぎが主将だから武蔵は愛されるチームになった。
そらの不器用だけどまっすぐな頑張る姿勢に背筋が伸びた。
いとの大きな優しさで学年を超えてまとまれた。
ひかるとだから技術を続けられたし、同じ熱量で意見をぶつけたことで時には私の意見に自信を持たせてくれた。
ラクロス部に入ってよかったことの一つは、尊敬できるみんなに出会えたこと!みんなを誇りに思います!
○後輩へ
間違いを恐れて行動や発言に制限をかけないで。挑戦心を忘れずにやってみる勇気を持って。
自分が信じた道が正解になるまで努力して。
Stay hungry であれ。Have funを忘れないで。
「最後の1年生試合。試合前ラスト。今年ラスト。」
名前がつけられる試合ではなく、毎日の練習と日々の過ごし方に拘って。
25チーム、初めは人数が少なくてアフターしてる気分になると思う。
目標に近づいているか不安になる日があると思う。
でもその1日1日を、一つ一つのメニューを、目標を持って積み重ねていけば大丈夫!
全てをぶつけても勝てなかったワイルドカード。
今までの基準で来年を過ごせば同じ結果だと思う。OGさんが作ってくれたものを、思い切って壊して新しくつくる必要もあると思う。
レールがないのは怖いけど、信じて進めばコーチは助けてくれるし正解にするまで努力すれば大丈夫。
私たち昇格できなかった代のレールに乗らずに、自分たちらしいチームで、自分たちのラクロスを作り、今の環境に満足せず、外のラクロスに沢山触れ、毎日ひたむきに、感謝を忘れずに、辛い時は同期の顔を見て、自分の今までの過程を見返して認めてあげて、なによりどんな時でも前を向いて楽しんで!
Life is fun because unpredictable
人生は予測不能だから面白い
この先絶対に思い通りにいかないことが起こる。
でもその出来事を経験できるのは自分だけだから。
辛い!悔しい!という感情も、楽しい!面白い!という気持ちと同じだけ楽しんで欲しいと思います!
周りに恵まれ、支えられながら新しい自分に出会えました。
最高の4年間でした!
ありがとうございました!
すー