アニメ 〜日本を代表するポップカルチャーの始まり〜

皆さん、お久しぶりです。

今回は、日本が誇るアニメの文化についてお話ししようと思います。アニメは今や、日本を超え、世界各地で有名になりつつあります。私の海外にする友人も、アニメがきっかけで日本語を学ぼうとしていたり、アニメが与えている影響を思ったよりも大きいのが事実です。そんなアニメの起源はいつでしょうか。アニメーションと聞くと、新しいような気がします。


・アニメの起源

日本の国産アニメーションは1917年に、フランスや米国の短編アニメを参考に、試行錯誤の描画や切り抜きアニメの手法で制作されたといいます。サイレント映画時代だったが「日本の漫画映画もなかなかの出来」と話題にはなりましたが、洋画アニメと比べるとコストが高く、後にはディズニーの短編などの人気に押されていました。

関東大震災によって東京圏が壊滅的な被害を受け、ゼロからの再出発を強いられることとなってしまったアニメーション。

そんな中、第二世代ともいうべき大藤信郎が千代紙を切り張りした「千代紙アニメ」(馬具田城の盗賊)を発表して国際的評価を得ました。日本のアニメを最初に世界に知らしめた最初の功労者として評価されています。

他にも有望な作家たちが輩出したが、近づく戦争の足音に極度の物資不足、軍事一色体制になってしまいます。フィルムの入手さえままならない時代、そんな中で終戦直前に海軍製作の長編アニメ映画『桃太郎・海の神兵』が公開された。戦意高揚のためのプロパガンダ漫画映画であったが、日本のアニメ史上初の長編劇場用作品(モノクロ74分)であった。 

終戦直後、占領軍総司令部(GHQ)はアニメ作家たち100人を、焼土と化した東京に招集して、新日本動画社を結成させ、民主主義を謳歌(おうか)するアニメを作らせて占領政策の円滑な浸透を目指しました。これもアメリカ側のプロパガンダの一つです。しかし、作家集団では議論百出してまとまらず、迷走のあげく、解散となってしまいます。作家たちはそれぞれ離合集散してしまうのですが、ガチガチの軍国主義思想から民主主義への思考転換は簡単ではなかったようです。

当時の映画会社・東映の社長は、戦後の復興を目指すなか、ディズニー・スタジオの長編アニメ『白雪姫』(1937年製作)を見て、そのフルカラー作品に圧倒され、「東洋のディズニーを目指す」として、近代的スタジオを建て、東映動画を作りました。


第1作として『白蛇伝』が選ばれた。原作は中国の物語です。かの、宮崎駿も大学受験を控えた時期に見に行って魅了されたというハイクオリティのアニメだったそうです。著作権の都合で載せられないのですが、ぜひぜひ一度観てみてください😊 現代の作品と通ずるところもあるかと思います。


長くなってしまいましたが、これでアニメの起源のパートⅠを示させていただきます。わたしはアニメがプロパガンダとして、戦争中、戦後に作られたことがあったとは知りませんでした。当時の様子も伺える内容になっているとおもうので、ぜひいつか機会があれば観たいです。

皆さんの好きなアニメはなんでしょうか?もし良ければコメントでお知らせください😊

わたしはジブリ映画が大好きです(≧∀≦)

Myon
2020.11.10

日本人の繊細な性格がアニメーションのような制作活動にも反映されているのですね。
これはアニメーションのうちに入るかわかりませんが、「クボ」という三味線によって折り紙を操る日本人の男の子が主人公のアニメーション(コマどり)がとても好きでした!

HINAKO
2020.11.02

宮崎駿さんが魅力された『白蛇伝』を見てみたいですね。私は子供の頃に見た『カリオストロの城』のストーリーが大好きで心に残っています。