暇な日々も今日で終わってしまう、ということで、少し書いてみようかと。
タイトルは、シェイクスピアの喜劇「十二夜」の第五幕に出てくる言葉です。友は自分をいつも肯定してくれる存在であるが故に、友の言葉を鵜呑みにすると正しく自分を知ることができない。一方で敵は嘘偽りなく自分を否定・批判してくるため、敵の言葉にしっかりと耳を傾ければ自分の至らない部分を知ることができる、という意味です。
自分はこの言葉には二つの教訓が込められていると思います。一つは、耳が痛い言葉であってもそれこそが自分の足りない部分を示しているのだから、敵の言葉にも耳を傾けろということ。もう一つは、肯定するだけ、優しい言葉をかけることしかできない関係は友ではない、ということ。実はこの言葉、劇中では道化役の台詞として語られています。つまり、相手を褒めるだけなのはむしろその人をバカにしているのだ、という皮肉を込めた言葉として語られているのだと思います。そう考えた時、相手のためになることならば、厳しい言葉であっても言ってあげるのが友というものなのだ、と自分は思います。友情とは信頼関係のこと、真に信頼関係を築けているのなら、相手を否定するくらいで関係が崩れることはないはずです。
そしてこの教訓は友人関係だけでなく、様々な役職が関わり合う組織運営においても同じだと思います。組織内ではしばしば利害が対立することによって、役職どうしが敵対することがあります。そのような時に、味方同士で集まってお互いを肯定し合うよりも、相手の役職の立場や意見を聞くことで自分たちの役職に足りない考えを知ることができるでしょう。また、そこで厳しい議論の応酬をせずに馴れ合いで議論が終わってしまうような組織であれば、腐敗していると言わざるを得ません。役職同士の信頼関係が築けていない、ということになってしまうからです。
お互いに相手を肯定するだけの馴れ合っているだけの関係は確かに心地がいいものでしょう。ただし、それだけでは自分に何が足りないのか、自分の弱い部分を知ることはできません。だからこそ、あえて厳しいことを言うような立ち回りをする人が必要なのではないか、と思います。少なくとも自分は、去年も割とそうだった気がするけど、これから半年くらいはそういう立場でやっていこうと思っています。同時に、自分に向けられた厳しい意見に対してはしっかりと考えていくつもりです。そして、一橋祭運営委員会という組織のためにもそういう姿勢を他の委員にも持って欲しいなと思っています。っていう一委員として、幹部としての所信表明兼他の委員への期待を込めて、という形で終わります。
こういう偉そうな話を新歓旅行でしたかったなぁ
終わり