引き継ぎ学

 さて、書いてくれとは言われたものの大した文才もないので、なんとなく今までの記事を見て、それっぽい話を書いてみようかなと思います。

 この前、子ども企画の引き継ぎをしました。それを振り返って思うのは、やっぱり引き継ぎはなおざりにはできないなってことです。他の皆さんが引き継ぎをどのくらい重視しているかは知りませんが、一橋祭が毎年できているのは、引き継ぎ資料のお蔭だといっても過言ではありません。当たり前かもしれませんが、引き継ぎの大切さを今日は今一度訴えたいなと思います。

 自分は高校2年生のとき、体育祭の実行委員長をやっていたことがあります。前の代からいろんなデータを引き継いだ時、引き継ぎ資料はたったの2ページしかありませんでした。2ページ分しかやることがなかったのかと言われるとそうではないです(多分…)。去年の子ども企画と同じくらい忙しかったです。では、なんでこんなことができてしまったのか。

 実は、うちの高校のシステムは田舎だからかなり特殊で、説明するとすごく長くなってしまうので割愛しますが、1年生の4月に次の年の実行委員長を決めるという伝統があります(今思うと1年生かわいそうですよね…。まあ僕も決めさせたのですが…)。そうして、体育祭までの先代の委員長がやっていることを見て、体育祭を経験することで、来年動けるようにするという、いわば「習うより慣れろ」という引き継ぎ方法でした。それゆえ、たった2ページでも引き継ぎができていたのです。

 恐らく一橋祭でも本当は「習うより慣れた」方が伝わることが多いのではと思います。企画を打つにしても、実際の一橋祭とか役職の仕事内容とかを見てみないと分からないところも多いはずです。にもかかわらず、一橋祭を見たことがないのに、実際に経験したことがないのにスムーズに企画を打つことができているのは、引き継ぎ資料があってのことだと思います。引き継ぎ資料がない場合や雑な引き継ぎ資料では、どうすればいいのか分からないことが出てしまい、そこで時間を使ってしまいます。前の体育祭の例を借りるなら、引き継ぎ資料がないと引き継ぎに半年かかってしまうわけです。これが一橋祭であったら、とっくの昔に破綻しているでしょう。

 また、引き継ぎがないと反省点が継承されず、企画の質が上がりません。このようにして無駄な労力を減らし、反省点を継承することによって、単年度的性格の委員会の質が維持・向上されているのだと思います。そう思って引き継ぎ資料を見ると、引き継ぎ資料には、より分かりやすく伝えようとする先輩方の努力が詰まっているように感じます。引き継ぎ資料を残してくださった今までの委員の方々にも感謝しないといけませんね。

  それから、引き継ぎのやり方も大事です。やり方によっては、引き継ぎがもつ効果を弱めかねません。初対面での引き継ぎだったら、上手くできないと聞き手から見た印象は悪いですよね。一度にたくさん伝えてしまうとパンクしてしまうので、いかに大量にある情報の中から必要な情報を取捨選択して伝えられるかとか、分かりやすく説明できるかとか、当たり前だし分かっているけど難しいなとこの前の子ども企画の引き継ぎで改めて感じました。上手い引き継ぎの仕方とか引き継いでくれよって思います。

  こうして考えてみると、引き継ぎって意外と奥が深いですね。一体だれが思いついたのでしょうか?引き継ぎ学とか研究したら意外と面白そうかもしれないです。

  まあ、こんな感じで引き継ぎってすごく大切だなと感じています。よく一橋祭を知る努力をすべきだと考えがあります。確かにごもっともだと思いますが、知る努力だけでなく、伝える努力も忘れないようにしたいですね。

 おしまい