BLMが気づかせてくれたことー微力は無力じゃない

こんにちは! imI(イムアイ)のワカです。

世界中で大きなムーヴメントとなったBlack lives matterについて、メンバーそれぞれの想いを書いています。

徐々に関心が薄れている今、もう一度、この出来事について考えてみてほしい!!

ということで私の文章です。最後まで読んでいただければと思います。

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コロナで世間が忙しい中、BLMの運動が始まった。凄惨な事件を発端にいままでもやもやしていたもの、見て見ぬをしてきたものをみんなが一斉に吐き出したようだった。そしてアメリカから始まった運動は瞬く間に世界へ広まった。フィードをリフレッシュする度にでてくる黒い投稿、五分に一度は目にする#BlackLivesMatter のタグ。
どんなムーブメントには必ずそれに逆らった発言をする人がいる。人と違うことがクールだと思っている人も一部にはいるだろうし、ちゃんと考えてみると自分の考えはムーブメントにはそぐわないと気づき発言する人もいるだろう。BLMでも数日もすると「こんな投稿流行に乗っただけだ」という人や、「White Lives Matter(白人の命も大切だ)」、「All Lives Matter(すべての命が大切だ)」という人たちが現れた。
そしてまた、「黒い四角なんて、なにも変えられない」という人もいた。私はこの「何も変えられない」について少し書こうと思う。

まず私の意見としては、何も変わらなかった訳ではないだろうと思っている。この「何も変わらない」という意見はムーブメントがかなり大きくなって、先ほど言ったような、ムーブメントに声をあげる人が出てきた頃のことだ。この黒い四角はここまで運動が大きくなって初めて意味のないものになったのではないだろうか。
ムーブメントが大きくなったことの一因にこの『四角』があったことは確かなのではないか。少なくとも私はジョージフロイドさんの動画を見たあとに、黒い投稿を見つけ、Black Lives Matter という運動を知った。
黒い四角はなにもできなかったわけじゃない。ムーブメントを大きくした。しかし大きくなった後には必要とされなかった。だから私が見かけた「黒い四角なんて、なにも変えられない」というのもそれより一歩進んだ動きが必要だという意味だろう。
実は自分も友達から「何も変わらない」と言われた。もっと詳細に言うとすれば、「イムアイのような小さな団体が黒い四角を投稿したところでスワイプされて終わり、10年後にはなにも残せない」と。私は内心激怒していた。なぜなら、学生の社会活動というのは「小さな活動」に過ぎないものがほとんどだからだ。そんなこと言ったら、どんな文章も、絵も、同じなんじゃないかと。彼女はBLMを10年後にも残すために別のものを作ろうとしているアイデアを話してくれたが、当時怒りの感情が勝っていた私には、それだってどんなに長く持っても10年後には大半が捨てられるし残ったものが10年後に何かを変えるのだろうかという疑問しか沸かなかった。
最近都知事選挙の候補者である宇都宮氏の演説がよくテレビから聞こえる。たしか「ひとりひとりの力は小さな力かもしれない、微力かもしれない。でも無力じゃない。微力が集まれば大きな力になれる。」だっただろうか。私が言いたいのはまさにこれだ。
ムーブメントだってこうやって起こったのだろう?大きくなったのだろう?
私が誰かに伝えることがなにより大切なんだと思う。例えば私の書いた言葉で誰かの価値観が変わったらそれだけで10年後その人が周りに伝える言葉は変わるんじゃないか。「10年前に黒人差別反対暴動があった」が「10年前に黒人男性が殺されたことで人種差別、特に黒人差別に対する運動があった、そのときこんな意見や、こんな意見があった。」というように。私の言葉が黒人差別をなくすのは夢物語でも1人の人に伝えるのは実現できないか?さっき私に「何も変わらない」と言った彼女のアイデアも同じ。何かは変えられる。
10年後に残らないから黒い投稿はやめろ?違う。変えたいのは今だ。今を生きる人の考えを、意識を、変えたい。10年後を変えるのは今なんだから。小さな動きが積み重なって社会は変わるんだから。ちなみに黒い『だけ』の投稿をやめた方がいい理由はもうひとつあるらしく、それが現地の人たちからの情報も同じタグで発信されているのに、それが流れていってしまうからだそうだ。だから例えば文章を書いたり、なにかアクションを起こすことを計画したり、もっとできることはある。それは事実だ。


私は、小さな発信が無力で終わることはないと思っている。人は皮肉なことに大勢が同じことをしてると自分もやらなければならない気がするものだ。みんなが発信してると、自分も考えて見た方がいいのでは、と思うものだ。その発信してる「みんな」になれた時点で無力じゃない。
デモとムーブメントのピークからしばらくたった。今でも友達から小さな力を否定されたことは許してない。彼女が否定したくて言ったのかは知らない。自分にはそうとしか捉えられなかった。世の中のBLMの熱は、特に日本では、下がりつつあるように感じる。今私はこの文章を書いている。イムアイの発信で、私の発信で、あなたの発信で、またもう一度BLM
を考える人がいるかもしれない。『流行り』じゃなかったと気づく人もいるかもしれない。この文章が10年後なにになるかわからない。でも私は伝えたい。何度だって書く「無力じゃない」。


2020年7月 ワカ